今年は何回も戸隠を訪ねた。戸隠に咲くという小さな花を見たくて通ったのだが、7月の半ばに咲くだろうと言われる花にはとうとう会えなかった。それでも、その小さな葉を見ることができたからまず一歩。来年こそは花にも会いたいものだ。
今日は久しぶりに鏡池まで行ってこようと話しながら家を出た。戸隠までは車で30分、ゆっくり森を散策してくるには適当な距離だと思う。
みどりが池から植物園に入り、ビオトープで水生生物の様子を見てみよう。咲き出したアザミにミヤマカラスアゲハが舞っている。
クロサンショウウオの幼生がたくさんいた池にはおたまじゃくしが動いている。私たちが動くと一斉に水中に沈んだ落ち葉の下に潜っていく。水面が光を反射していて水中が見えにくい。私たちが水辺を動くと、水中にも慌ただしい動きが起こる。
水の上を大きなトンボがスイーッと飛んでいる。青緑に光る綺麗なトンボだ。池の淵にはヤゴの抜け殻がいくつかあるから、ここで育ったトンボだろうか。
ビオトープを後に、鏡池に向かう。途中に敷かれた木道は折れていたり、穴が空いていたり、ぐらぐら揺れていたりする。新しくなった周遊コースの木道は幅広く立派だが、古いままのこちらはかなり荒れている。前に来た時よりも荒れ具合がひどいように思える。鏡池まで向かうコースは訪ねる人が多いのだろうか。時々空いている穴に足を取られないよう気をつけて歩いていく。
道の両側にはノブキと、ホソバガンクビソウが満開だ。ノブキは足元に近い方に白く、ガンクビソウは腰の高さに黄色く揺れている。水辺になるとツリフネソウが顔を見せるようになった。9月半ばまでツリフネソウとキツリフネが水辺を彩る競演を繰り広げることだろう。
ツリフネソウは咲き始めだが、ジャコウソウが今真っ盛りだ。色濃いものや、白に近いものまで、様々に咲き競っている。
鏡池への慣れた道を歩いていくと、鮮やかなオレンジ色が緑の中に浮かんでいる。フシグロセンノウだ。戸隠へはかなり頻繁に訪れているつもりだったが、この森でフシグロセンノウを見るのは初めて。夏の真っ盛りに鏡池までの道を歩いたことがなかった。そういえばジャコウソウもほとんど散ってしまって、枝先に数輪かろうじて残っている姿ばかりを見てきたような気がする。わずかに季節がずれただけでも、森は違う姿を見せてくれる。
途中の翁像と嫗像に挨拶して、鏡池に向かう。夏真っ盛りの今は、高い草に囲まれて向かい合って立っている。
急に森が開けて、鏡池のほとりに飛び出す。水面には逆さ戸隠。戸隠の稜線には雲がかぶさっているが、厚さのある雲の動きの中で、険しい崖にも奥行きが出るようだ。なかなか迫力がある。池の面には動く雲の峰も映っている。
鏡池のほとりに立つ『どんぐりハウス』では蕎麦ガレットを食べることができる。まだお昼には早い時間なので空いている。爽やかな風が渡る高原、テラス席でおやつをいただくことにした。切り立った断崖を木々の向こうに見ながらゆっくり過ごす時間。コロナウィルスの脅威が始まって以来、こんなにのびのびと飲食店で過ごしたことはなかった。高原の気分を満喫だ。ゆっくりガレットを味わっていると、綺麗な模様の蝶が夫の腕に止まった。長い口吻で腕を突いているようだ。何回か飛び立ってはまた戻る。「蝶もガレットが食べたいのかな」「いや、汗を吸っているんじゃない」などと話しながら見ている。それにしても細かい模様が美しい。家に帰って調べたら、サカハチチョウというらしい。そして人の汗が好きな蝶らしい。
チョウといえば池の近くで交尾している小さな蝶に会ったが、6月に見た組紐のような幼虫シロシタホタルガの変容した姿だった。
蝶やトンボが高原を舞う姿は伸びやかで良いが、今年はアブがとても多い。テラスにやってきた客が何ヵ所も刺されたと嘆いていると、店の人が『オニヤンマ』を見せてくれた。この形か色が嫌いらしく、体につけているとアブが寄ってこないそうだ。薬品を使っていないところが気に入ったので、購入した。帰り道背中につけて歩いた夫は、確かにアブが寄ってこないと嬉しそうだった。
優雅な高原の時間を堪能し、帰りに一の鳥居苑地で少し花を眺めてから家に向かった。コロナが終息し、遠くで暮らす友人や家族と自由に高原を歩ける日が一日も早く来ることを祈りながら。