何事にも旬というものはあるようだ。ヒメザゼンソウに会ってみたいと思っていながらそれとなく適期を逃してきたが、昨年春には一気に気分が高まり何度か咲きそうなところに足を運んだ。しかし結局会えず、今年こそはと、あれこれ思案している。
我が家にある戸隠の花だよりの本はかなり古い刊行だが、そこにヒメザゼンソウが載っているから、餅は餅屋とたずねてみることにした。戸隠森林植物園の『八十二森のまなびや』に行って聞くと、職員さんが詳しい人を紹介してくれた。今年こそはヒメザゼンソウに会えるだろうか。
戸隠森林植物園ではボランティアによる観察会が行われていることも教えてもらった。人と一緒に自然の中を歩くのが苦手な私たちはあまり乗り気ではなかった。しかし、今回たまたま紹介してもらった人には、かつて森の中で会って少し話をしたことがあった。その人は植物の生えている場所や株数などをメモ帳に書きながら歩いていて、すごいなぁと思ったことを覚えている。
今回観察会に行ってみようかと思ったのは、苦手な木のことなども教えてもらえるかと期待したから。予約もいらないから、行ってみてあまり人数が多ければやめればいいと気軽に出かけた。6月27日、朝早いバスに乗ったのは私一人。
思いがけず面白かった。数十年前に月一回行っていた、三浦半島の観察会を思い出した。私はいつもしんがりで、迷子になる子はいないか、ゴミは落ちていないかなど確かめながら歩いていた。シバさん(※)が説明しながら取り付けていく荷札を外す係の少年少女たちに見落としがないかなども確認していたっけ。仕事が忙しくなり、引っ越しもあって遠ざかってしまった。
(※柴田敏隆氏:コンサベーショニスト)
さて、戸隠の観察会、連日の雨模様も影響してか参加者は少なかったが、みんな興味津々で自然を満喫しているように見えた。私はしんがりあたりをゆっくり歩いていた。ツルマサキ、ツタウルシ、ツルアジサイ、マユミにカエデ・・・などの樹木、姿はもちろん見たことがあるが、その特徴などを楽しく解説してもらう。キハダ、ノリウツギ、シナノキなど、生活の中で活用してきた木は、見本も用意してあり触らせてもらった。
だが、今回のハイライトはモリアオガエルだった。水上に伸びた木の枝に白い卵塊がついているのは何度も見ている。また木の上でじっとチャンスを待つカエルの姿も何度か見ている。しかし重なり合って産卵しているところは夜しか見ることができないと思っていた。ところが、今回見ることができた。ほとんどの参加者は少年少女に『昔』がつく年代だったが、華やかな歓声が上がった。「初めて見ました」という声がいくつも聞こえてきた。
色々なことを教えてもらってもいつの間にか忘れてしまうことがたくさんある。にんまりと笑いながら「今日は復習だ」と言う夫と、再び植物園を訪れたのは観察会から3日目。晴れ模様という天気予報を信じて出かけたが、青空がどんどん狭まっている。いざとなれば傘をさせばいいよと歩き始める。
「さぁ覚えているかな」「しまった、メモを忘れてきた」「頭の中にメモは残っているでしょうか」などと、漫才のような会話をしながらみどりが池のほとりを進む。先日咲いていたウスバサイシンを見る。花の中心が膨らんできているが、これは実になってきたのだろうか。今を盛りに咲いているのはオオナルコユリ、たくさんの花をぶら下げて見事だ。見上げればツルアジサイがずいぶん高いところまで白く咲いている。小さな木の花もたくさん咲いているのだが、やはり目立つところに目はいく。先日教えてもらったカラコギカエデは花が終わりになってきて若い実がついている。カエデの実と言うと竹とんぼのような形でくるくる回って飛んでいくイメージだ。でも、このカラコギカエデの実は馬蹄形のような形、くるくる回りそうにない。
湿地に張り出してきた笹の葉に一直線に穴が空いているが、地元では九頭龍さんの歯型と呼ぶらしい。水の神様なので、この葉を水田にさしておくと水に困らないと言われてきたそうだ。探してみると、3列や5列になっている歯型もある。笹の若芽がまだ丸くなっている時に食べられた痕だ。
高台に行くとサンカヨウの実が薄青く色づいてきた。アサギマダラが舞っている。遠く南から海を越えて飛んできたのだろう。この小さな体で、すごいと思う。小さな昆虫の世界は覗くと限りなく深そうだ。
みどりが池あたりにはヒオウギアヤメがたくさん咲いていたが。高台にはアヤメが咲いている。この辺りまで来るとほとんど人に会わない。ゆっくり木道を歩いて、四阿でおやつを食べる。静かな森の中に沈んでいるようだ。
学べば学ぶほど、自然の姿のうねりの大きさ、深さを感じる。これからも楽しめることやびっくりすることを見つけながら、遊ばせてもらえるといいなぁ。