4月になってようやく山を歩こうかという気分になった。この冬は雪がいつまでも去らず、だらだらと舞い落ちてくる陽気だった。私は昨年3月に右膝の靭帯を痛めてから治りきらず、これは上手に付き合えということだなと諦めている。
また正月辺りから夫の体調が芳しくなく、山もスキーもなしの、十数年ぶりの閉じこもった冬になってしまった。それは気の病とハッパをかける私の言葉がまた重荷になったかもしれない。
4月の声を聞いて太陽の暖かさが感じられると体も軽くなるようで、1日、2日と裏の地附山に登ったり麓をバードウォッチングしたりして、足慣らしをした。
5日、夫は朝から「どこかへ行こう」と言う。「まだ近くの山は花も咲いていないし、ちょっと高い山は雪が残っているし・・・」と言いながらも「旭山かな」と決めたようで、行こうと積極的だ。
長野市を取り囲む山々の一つとなる旭山は、県庁の西に尖った三角形の山頂が見えて目立つ。かつてはいくつかのルートがあったが、荒廃して危険なため立ち入り禁止となっていて、山腹の朝日山観音からの短縮コースのみ入山できる。
私たちは山靴と飲み物を持って、車で観音堂に向かった。細い曲がりくねった道だが、かなり上の方まで集落が続いている。曲がり角などには『朝日山観音堂→』の看板が出ていて分かりやすい。
観音堂には5、6台の駐車場があるが停めるのは私たちだけ。観音様に「車を停めさせて頂きます」とあいさつして、歩き始める。周囲にはリンゴ畑が広がる。かなり急傾斜だから、農家の人の苦労がしのばれる。この辺りの斜面には一面にオオイヌノフグリが開いていて、遠くから見ると地面が青い。久しぶりの陽光に大喜びしているのは、私たちだけではないようだ。所々に赤いヒメオドリコソウが色を添えている。
山道に入ると昨年の落ち葉が積もって、ふかふかしている。南斜面は暖かい日の光に溢れていたが、森の中はまだ冬のなごりを残している。
ドングリが一面に落ちこぼれて、大地に根を伸ばしている。昨年は豊作だったらしい。この中の何本が大きく育っていくのだろう。松ぼっくりもたくさん落ちていて、動物たちの食事となったらしいエビのしっぽも見られる。
私たちはあっちに目をやり、こっちの花を撮影しと、のんびり進んでいく。残念ながら今日は遠くが霞んでいて、山の遠望は楽しめない。足元のシュンランの蕾を見つけたり、スミレの蕾を見つけたり、だんだん暖かくなってきたのを喜ぶ昆虫や蝶を目で追いかけたりしながら、あっという間に山頂に着いた。
旭山の山頂は長野盆地を見おろすのにちょうど良い立地で、山城として活用されてきた所らしい。大きな看板が立っていて、説明が書いてある。戦国時代武田方の居城だったそうだ。すぐ隣の葛山が上杉の城だったことを思うと、なんと入り乱れて戦っていたのだろう。
山名は旭山なのに、麓の観音は朝日山観音と呼ぶのはなぜだろうと思っていたが、古くは朝日山と呼ばれたと書いてあったので納得。
城だっただけに山頂は広い。山頂の中央にある石で描かれた円は何だろう。砦の中心部だったのだろうか。植え込まれたらしき水仙が青々とした葉を伸ばし、黄色い蕾が今にもパッと開きそうに膨らんでいる。カンゾウの新芽も南側一面に首を伸ばし、若草色に日を反射している。まだまだちょこんと三角に顔を出した芽も多い。
他のルートへの下山口には大きく立ち入り禁止のテープが貼ってある。私たちは東の見晴台の方へ足を伸ばし、霞んでいる長野市を見おろした。善光寺の奥、木の枝が重なり合っている向こうに我が家が見える。すぐ目の下には裾花川が緩く蛇行しながら流れていく。
盆地の向こうの菅平も、淡く空に溶けているが、根子岳の斜面に残る雪面は鏡のようにキラキラ光っている。
太陽が高くなるに連れて気温も上がってきた。茶色い羽の蛾のような昆虫がひらひらと舞っている。日当りの良い所では羽を休めるようにゆっくり止まっている。蛾だろうと思っていたが、家に帰って調べたら、ヒオドシチョウという蝶だった。成虫で冬を越すのだそうで、早春の山に見られるのだとか。このか細い体で冬をどうやって過ごすのだろう・・・。自然の仕組みにはいつも頭が下がる思いがする。
旭山を作る、白っぽい流紋岩質の凝灰岩がゴロゴロしているところで遊びながら、下りることにする。ここは火山性の山なのだ。そう言えば、裾花川のほとりから見上げると、真っ白い絶壁が立ちはだかっている。鷹も住むのだそうだが、見たことは無い。
登りにはまだ開いていなかったダンコウバイが日の光を浴びてどんどん開いているようだ。道の両側の森を柔らかく黄色に染めている枝を楽しみながら山を下りた。