毎年梅雨の季節になると、近くの地附山に足を運ぶ回数が増える。小雨の中を歩いたこともある。ウメガサソウがほころび出すからだ。 今年も蕾が膨らむ頃から登っているが、開花は例年より遅めのようだ。5月の末から何回か登って11日にようやく大峰山との鞍部に開花を見た。数日経ったので、そろそろたくさん咲いているだろうと、花見の山歩きに出かけた。梅雨入りして午後からは雨の予報、その前にひとっ走り、いや走らないけれど。
花見というが、実は夫にはもう一つの楽しみがあった。山の上から線路が見下ろせると、大喜びして電車がやってくるのを待つほどの鉄ちゃんだから、地附山の稜線の一角から長野の鉄道車両センターが見下ろせるのも楽しみのようだ。コロナ禍の前にはそこで催される鉄道フェスタに行ってみたこともある。今解体作業が進んでいるのは私たちがかつて通勤で使用していた横須賀線の車両という。夫が山の上から撮った写真を見て、逗子に住む友人が現在の逗子駅の写真を送ってくれた。
夫は今日も山の上から写真を撮ろうと張り切っている。しかし、時々ゴロゴロという音が響いてきた、急ごう。黒い雲が大きくなってくる。長野の雷は駆け足で雨を連れてくる。
ウメガサソウは期待通り咲いていた。とても小さな花だから、すれ違う人たちの多くは見向きもせずに通り過ぎる。鉄ちゃんならぬ私の今日の楽しみはシャクジョウソウ。腐生植物の錫杖草は、葉緑素を持たない、全体がクリーム色の小さな植物。名前が示すように、幾つもの花を下向きにつける姿は錫杖に見立てられる。昨年は時期を見逃してしまい、見つけた時はもう黒っぽくなっていた。葉緑素を持たないから自分で栄養を作れず、落ち葉の中から分けてもらうらしい。昨年咲いていた場所を探すが見つけられず、黒い針金のような昨年の穂が残っているばかり。でも先日、違う場所に数株集まって顔を出しているのを見つけた。6日しか経っていないのに、今日のシャクジョウソウはもう実をつけようと壺を上に向け始めている。季節は走って通り過ぎていくようだ。
山頂で定点撮影をして、今日の目的地に向かう。電車が見下ろせるところだ。鮮やかな紅のヤマツツジが所々に咲いているが、今年は少ないと感じる。大きな木ほど蕾も少ないようだ。足元の僅かな丈の木に鮮やかな花が咲いている。春から夏にかけて、いつ登ってもどのコースを歩いてもヤマツツジは賑やかなのに、今年は少ない。
以前、奥深い山の小屋番をしている男性が森のことをいろいろ教えてくれたけれど、「大きなうねりがあるようです。人間にはわからないけれど」と話していたのを思い出す。『変わらないものは何もない』というのは一つの真理だろう。変化していく姿をしっかり見ていくしかない。
少ないといえば、モミジイチゴの実りも今年は少ないようだ。森の中には食べられる木の実がたくさんある。国立公園では採れないけれど、裏山では味見ができるのが楽しみだ。ソメイヨシノの実も黒く熟したものは疲れを癒してくれる。以前一面に明るいオレンジ色に輝いていたモミジイチゴの実を見つけたが、その後なかなか豊作に会えない。今年はそれでも多い方か、少しだけ摘ませてもらってちょっぴりジャムに仕立ててみた。
梅雨空で、湿り気が多いからか、先日よりボンヤリ霞がかっているが、今日も電車は見えた。私にはチンプンカンプンだが、185系やら、かつての特急あさまやらが見えると、夫は喜んでいる。通勤で乗っていたでしょうと言われても、さてと首を傾げるばかりだ。電車の色で見分けていただけなのだから。
山の楽しみの一つは展望と言えるだろうが、電車を見ることを楽しみにしているのは夫くらいか。展望といえば、物見岩からの展望も素晴らしい。地附山公園側の登山道からは善光寺は見えないが、物見岩から登れば真正面に見える。
先日、大峰山まで足を伸ばした時にはネジキの花が満開だった。毎年楽しみにしているナツハゼも、今年は花つきがいいようだ。実った頃にまた味見をさせてもらいに来よう。
この日、大峰山まで足を伸ばしたのはやはり一つ目的があったから。何年か前に一回だけ見たウラジロヨウラクの花を探したいというのがその目的。1枚の写真が残っているが、どこで撮影したか覚えていないという情けないことになっている。ゆっくり周囲の枝を見ながら登ったが見つからない。仕方なくまた来ようと降り始めたら、ピンクの壺が枝の奥に見えた。残念ながら最盛期は過ぎた様子だったが、まだ数輪散り残っている。ありがたいことと、この花の写真を撮って物見岩に降った。ウラジロヨウラクとそっくりだが、色の淡いこの花には細く長いガクがついている。東北、日本海側の山に自生するガクウラジロヨウラク。
登るたびに親しくなる裏山に、次はどんな発見が待っているか楽しみだ。