長野県と新潟県の県境にある斑尾高原は、延長約80キロの信越トレイルの起点となっている。北東に伸びる関田山脈の尾根を辿るように続いているトレイルだが、2021年9月には苗場山まで延びて総延長110キロのコースになる予定だとか。森の中を歩くコースは綺麗に整備されていて気持ち良い。家から近いので、斑尾山から袴岳あたりの森の中をその時の気分で歩いてくることが多いが、この地域は長野県と新潟県の境が入り組んでいて、いつも頭がこんぐらかってしまう。
斑尾山にはタングラムスキーサーカス(長野県)と斑尾高原スキー場(新潟県)のゲレンデがあるが、いつもどっちの県か分からなくなる。沼の原湿原は新潟県、すぐお隣の希望湖(のぞみこ)は長野県、歩いている時にどの県を歩いているかなど意識してはいないけれど、ふと考えると騙されているような気になる。
まぁそれは良いとして、「明日はまた雨らしいから少し歩いてこようか、散歩コースで」という夫の発言にすぐ賛成。水芭蕉の季節には何度か訪れている沼の原湿原にミツガシワが咲き始めたのではないかと気になっていたので、行き先は簡単に決定。
牟礼駅で国道18号を越し、グングン山へ入っていく。斑尾山の南斜面の里を走って『まだらおの湯』を通り過ぎて登っていく。斑尾高原スキー場のゲレンデの脇から斑尾高原山の家に向かい、そこで左折。今度は下り道。ゲレンデ辺りからは県境を走っていたが、沼の原湿原の駐車場に向かうところはもう新潟県らしい。
涼しい空気がパキンと音がするような緑の世界を歩き出す。湿原は本当に緑一色になっている。水の流れは激しく、音を立てて流れている。そこに2羽のカルガモが浮いていたので、思わず「カモさん」と呼んでしまった。カルガモさんはびっくりしたようで、いきなり飛んでいってしまった。ごめんねと言った時にはもうずっと向こうの草むらに消えてしまっていた。
水芭蕉の葉は大きく育っている。わずかに白い苞を残しているところもあるが、今年はご苦労様でしたという感じだ。リュウキンカも同じ。実りの季節になっている。遠くに背の高い黄色いキクが咲いている。そしてミツガシワの白が緑の中に浮いているように見えてきた。木道を辿って近づいてみると、サワオグルマの黄色とミツガシワの白が華やかだ。
この広い湿原に人影はぽつりぽつり、片手でも余るくらいだ。ゆっくりのんびり山裾を歩いて、再び湿原に戻る。鳥の声がお供だ。
湿原を一回りしたので、赤池へのコースを行ってみることにした。傘を背負って、雨になったら帰ろうくらいの気分で来たから、細かい地図を持ってこなかった。こっちへ行っちゃって大丈夫かなと思われる方へしばらく歩いたが、後はグルグル回ってしまってなんだか方向がわからない。大回りして戻ったような気がする。道はとても丁寧に整備されているので迷うことはない。家に帰って地図を見たら大きくUターンするようになっている道だった。なるほど、我が方向感覚も捨てたものではないみたいだ。
丸太を横に敷いて作られた緩やかな階段を登ったり降りたりして進む。コシノカンアオイがころりと転がっているのを発見した私は大喜び。次は何かなと、ワクワクしながら歩いていく。カーブを曲がってゆっくり階段を降りていくと、小さな湿原にぶつかった。コバイケイソウが一面にそよいでいる。まだ蕾が白くなってきたばかりだが、その小さな丸い花穂が愛らしい。夫は「かわいいね。開いてしまうより、このくらいの方が素敵だ」と、大喜び。しばらくそこでコバイケイソウを眺めていた。地面には小さな、小さなツボスミレが一面に咲いている。
ブナ林トレイルの分岐で赤池への近道を辿ると、あっという間に水面が見えてきた。キャンプサイトも草が刈り払われて広々している。万坂峠から赤池に至る県道97号線は土砂崩れのため通行止めになっているそうだから、トイレも使えないかなと話しながら歩いてきたが、賑やかな話し声が聞こえる。
赤池のほとりに建つ赤池遊森の館の周辺も草は刈り取られ、10人くらいの男女が食事をしながら談笑している。広いから、大きな車座になっているのが今風だ。ソーシャルディスタンスというのか。車も数台停まっているから、別のルートから来たのだろう。
私たちは館の2階から赤池を見下ろし、今度はブナ林トレイルを辿って沼の原湿原へ帰ることにした。
ブナの大木に圧倒される。なんと言ったらいいのだろう。爽やか、清々しい、美しい、神秘的・・・どんな言葉も頭の薄皮一枚のところを素通りしていく。神々しいと夫がつぶやく。そーっと歩いて広場に出た。ベンチが置いてあるので、ここで大休憩。お煎餅を齧りながらでは神々しさも薄まってしまいそうだが、まぁいいか。満足感いっぱいでしばらく森の中を楽しむ。
では、帰ろうか。どちらからともなく声を出し、腰を上げる。湿原に向けて降り始めたら、斜面に白い妖精が見えた。草丈6センチくらいはあるだろうか、2株のギンラン。あまりに小さい。再び歩き出してから「あの二人はすごいね〜。こんなに広い森の中で、あんなに小さいのに二人っきりで生きているんだ」と私が言うと、「森の中には仲間がいるんじゃない」と夫。そうか、人間の目に見える場所なんて一本のライン上だけだからね。なんだか、ちょっぴりほっとした。
沼の原湿原に戻り、せせらぎの音に癒されながら車に向かった。