晴れが続くという天気予報を聞いて、「予約しま〜す」と言うと、「どこへ予約するの」と夫が聞く。「予約はあなたにするの。体調を整えて少し遠出をしよう」と私。
冗談のような会話をした翌日、出発したのは8時過ぎ。出かける先の斐太(ひだ)歴史の里総合案内所が開いてから到着したいのでゆっくり出発だ。
上信越自動車道を新井PAのスマートインターで降りると10分足らずで斐太歴史の里駐車場に着く。曲がり角には分かりやすい道案内が出ているので迷うことなく着いた。が、お天気の予報はどこへ行ったか、ぽつりぽつりと雨粒が落ちている。
鮫ヶ尾城跡の山に登ろうと思っていたが、滑りやすい急坂との情報だから、今日はやめようと話し、登山靴には履き替えずに、傘をさして案内所を目指した。
大きな看板がいくつも立っていてわかりやすい。一帯には古墳群があったり、弥生時代の遺跡があったり、竪穴式住居跡もあるという。鮫ヶ尾城跡は上杉景虎の終焉の地として知られているから、幾つもの時代の痕跡が重なっている興味深い地だ。そして、今回たとえ雨でもこれだけは見て帰ろうと思い立ってきた目的は、花。
案内所にはにこやかで話好きな感じの女性がいた。「ユウシュンランを見に来たのですが」と言うと、「まだ咲いているかしら」と首をかしげる。「遅いですかね」と言う私の言葉を待つより先に、「行ってみないとわからないけど・・・」と、先に立って歩き始める。案内所を空にするわけにはいかないからと、道を指差しながら教えてくれる。
「ここで見ているから行ってご覧」と、見守ってもらう中を歩いていく。「あった。まだ咲いています」と大きな声をあげる私に、彼女はニコニコうなずきながら案内所に戻っていった。その背中にありがとうございますと大きく声をかけ、私たちは周辺を歩く。
とても小さいので、見逃しそうだ。純白の花が枯れてきて茶色になりつつある。それでもまだ白さを保っている個体もあって、嬉しい。
ユウシュンランは特定の菌と共存して生きているので、掘って移したら生きていけない。環境の変化もあるかもしれないが、悲しいかな盗掘の被害もあるのだろう、今や絶滅危惧種になっている。いつまでも咲いていて欲しい。
雲が薄くなって、雨粒も落ちて来なくなってきた。案内所の女性が「お天気は大丈夫だよ、行っておいで」と、最初に鮫ヶ尾城の説明をしてくれていたので、私たちは車に戻り、靴を履き替えて再び歩き出した。
今度は案内所に登らず、左手の池に降りていく。淡水魚の池とあるが、数人の釣り人が糸を垂らしている。ここでは海水魚はいないでしょうと、夫がにやり。何が釣れるのだろう。池を後に山道を登っていくと花の宝庫だ。積雪量の多い土地の花は豊かだと思う。カタクリの丘の周辺にはカンアオイの花も転がっていたが、クロヒメカンアオイだろうか。この山はカタクリで有名らしいが、今はもう実になっている。
一面にカタクリの実が光っている森を見ると、満開の時はさぞ見事だろうと思わせられる。食草のカンアオイがあり、吸蜜をするカタクリがふんだんにあるのだから、当然ギフチョウの遊ぶ森でもある。ギフチョウは春の女神と呼ばれるそうで、桜が咲く頃にだけ見られる蝶。ここ、鮫ヶ尾城跡もギフチョウに会える森として有名らしいが、カタクリの花がみんな終わってしまった今は難しいだろうと思っていた。
ところが嬉しいことに、森が開けて明るい光が入ってきたところでヒラヒラと舞う姿が。カタクリではないが、近くの草むらにゆっくり止まる。右の尻尾(尾状突起)が切れている。きっと、私たちのように老人だ。戦い疲れて・・・などという言葉が脳裏に浮かぶ、この土地で戦っただろう戦国時代の侍達の姿も重なる。のどかな日の光の下で、長〜い『時間』に思いを馳せる。
ギフチョウと別れ、さらに登っていく。トキワイカリソウ、ミチノクエンゴサク、紫サギゴケ、チゴユリなどが足の踏み場もないほど咲いている。湿っているところには沢ハコベや谷桔梗の小さな白い花も散らばっていて目を楽しませてくれる。
せっかく地図をもらったのに、見ないで池を右に歩いて行ったら、北登城道に入ってしまった。教えてもらったのは東登城道だったのだけれど、気がついたのは頂上に登ってから。高速道路の下を潜り、しばらく登ると景虎の清水という看板があった。わずかに脇道に入ると小さな井戸のような水場があり、細く水が流れ出している。手を当てると冷たい。
清水を口に含み、元気をもらって登る。急坂をよいしょと登ると東屋がある。あれ?山頂へ行く前にロープがあるって聞いたけど、もう着いちゃったね。
呑気な私たちは、ホオノキの大きな花を見下ろす絶景を楽しみながらおにぎりを食べることにした。頸城平野の田圃には水が張られ、後ろを見れば昨年登った南葉山の稜線がまだ雪を乗せて続いている。しかし今日は黄砂が飛んでいるというニュース、そのせいか、せっかくの青空も色が薄く、平野の向こうの信越国境の山々が見えない。南葉山のさらに上にはまだ真っ白な火打山がぼんやりと霞んでいる。くっきりと見えたらさぞ美しいだろう。
ひとつ堀を降りて隣に登ると『米倉』とある。石で囲われたところにはまだ米が見つかるかもしれないと書いてある。昔の山城には時々そういう話が残っている。おにぎりが炭化して見つかったとか、歴史の中で人の生きてきた姿を想像させてくれるような話ではないか。 のんびり休み、山頂付近を散策して、さて帰ろうかと地図を開く。あら、案内所の女性が教えてくれた道は東登城道だったみたい。まぁいいか、下りはその道を行こうよ。
紫のフジ、白いフジ、オオバクロモジ、タニウツギ、木の花もたくさん咲いている。しばらく降って竪穴住居跡が点在する気持ち良い森に降りるとオオイワカガミがまだ満開だった。登るときも葉はたくさんあったが、花が散ったあとだっただけにこれは嬉しい出会いだ。
ちょっと森の中の寄り道を繰り返し、再び淡水魚の池に降りる。案内所の女性にお礼を言ってから帰ることにした。
山はこれでおしまいなんだけれど、おまけの楽しみが一つ。山頂から下を見下ろしていて気がついたのは、北陸新幹線の上越妙高駅がすぐ近くにあるということ。前から夫が話していたのは、新潟の駅弁『鱈弁当』を食べてみたいという鉄ちゃんならではの楽しみ。売っているのは上越妙高駅。そうは言ってもなかなか新幹線に乗って駅弁ひとつ買いに行くのは難しい。
「近いね」「帰りに寄ってみよう」、なぜかこういうことはすぐ意気投合する。
山を降りると田んぼの中の道を走る。遠くに駅舎が見えているから勘で走る。無事駅前に到着。
でも、残念。『本日分は売り切れました』という札が出ていた。お目当ては鱈だったけれど、ニシンもあったらしい。ニシンも大好きな夫はにこりとしたがそれも一瞬、ニシンも売り切れ。結局『鮭弁当』がわずかに残っていたので、それを購入して帰ることにした。
黄砂が飛ぶというだけあって、風が強い。帰りは高速に乗らず、国道18号線をゆっくり帰った。
『鮭弁当』はなかなかおいしい買い物だったので、ますます鱈への期待が高まったとは夫の弁。