GW(ゴールデンウィーク)と言えば、何も予定がなくてもどこかソワソワ、ワクワクしたものだったが、世界中に蔓延している新型コロナ感染症の脅威の中では心も沈んでしまう。遠くにいる家族とも会えないが、元気でいるとの便りを交わして互いに安心する。
家に篭っていても気が塞ぐばかりだから、やはり自然の中に気持ちは飛んでいる。
ふっと思い立った時に行って、半日ばかり遊んでこられるところに、いくつもの山があるのは素敵なことだ。3年ほど前に一度だけ見た花をもう一度探してみようと話していたのは、冬籠りの時のこと。大峰山の登山道で一輪だけ見つけたイワカガミ、今でも咲くのだろうか。
天気予報は午後から雨という。「午前中に行って来られるから、ちょっと見てこよう」と、今年の花の季節が早いことを気にしていた私は、ちょっぴり焦り気味。いつもは「行ってらっしゃい」と言う夫が、「用心棒について行ってあげよう、転んだ時のね」とニヤリ。
伊勢社への急な道を登っていくと、オオアラセイトウの紫が道案内をするように続いている。綺麗だねと話しながら登り、霊山寺を通って物見岩への道を登っていく。今日は雨になる前にと考えているので、最短コースを一気に登っていく。
物見岩から善光寺平を見下ろすのはいつものことだが、雨で空気が洗われたのか景色がくっきりと浮き上がっているようだ。旭山の白い崖が見えている。岩の裾を洗う川の流れは見えないけれど、あそこには裾花川が流れている。
山道に自分の影が映っているのに、水滴がパラパラと落ちてくる。お天気雨は長野では平地でもよくある現象。一部黒っぽい雲が流れているけれど、空全体の雲の厚さは透けるようなので、そのまま進む。山に入ると、コナラやウワミズザクラの花がそよいでいる。マルバアオダモの白い糸のような花が水に濡れて濡れ鼠になった動物のようだ。
地附山への道を分けて沢を越えるとジグザグに登っていく。山道には活発になってきた動植物の息吹が感じられる。これから花が咲くもの、すでに実になろうとしているもの、虫の作ったりんごのようなコブ、冬を越してぶら下がっている空き家になった虫の繭もある。蜘蛛の糸もそろそろ張られるだろう。みんなコロナのことなんか知らずにそれぞれの命を全うしようとしている。潔くて清々しい。
ハナイカダの蕾がぽっちりと出てきている。咲くのが楽しみだ。ショウジョウバカマは花の終わり、どんどん伸びて高いところに肌色になった花穂が実をつけようとしている。オオバクロモジの花は満開だ。枝の端を少しいただいて香りを楽しむ。なんという爽やかな香りだろう。
急坂になってきた頃にイワカガミの葉がちらほら見えてきた。と思ったら、夫が「おっ、これかな」と言って立ち止まる。足元に小さなピンクの花、イワカガミだ。「あったね」と、近寄って見ると、花の先端は虫に喰われたのかイワカガミ特有のひらひらがない。もう花の終わりなのだろうかと周囲の森に目をこらす。ない。葉はあるが、花は見当たらない。ゆっくり登りながら、四つの目で道の両脇を探しながら登るが、ついに花は一個しか見つけられなかった。
「これから咲き出すのかな」「また来なくちゃいけないね」呑気な会話をしながら山頂を踏む。トキワイカリソウもイカリソウもほぼ終わり、綺麗な青のフデリンドウが顔を出してきた。エンレイソウの群落は大きくなって真ん中の実が膨らんできた。
花を見ていると時間が経つのを忘れる。しかし、また雲が多くなってきた。ポツリ、雨粒が落ちる。「行こうか」。
地附山との分岐に降りた頃にはまた空が明るくなってきたので、もう一つの目的の花に会いにいくことにした。歩き始めると、一面のチゴユリの花。もう咲いている。下向きに咲く白い花は葉の影に隠れて目立たないが、透き通るような花びらは思わず見惚れる清楚な姿だ。
そこからは一気に山頂へ。地附山の山頂から北の眺めは一面の雲の中。一番近い飯縄山が青黒く影のように立ち、山頂を少し隠して後ろは雲がもくもくしている。黒姫山も妙高山も全く見えない。定点観測で山頂写真を撮り、早々に降り始める。
目当ての花は・・・まだ蕾だった。たくさんの蕾が今にも開こうかとぶら下がっている。
「やっぱりまた来なくちゃね」「楽しみがあっていいねぇ」。
また陽が当たるようになった道を公園に向かって降りる。長野の陽は晴れたり曇ったり忙しいが、なんとか降られずに済みそうだ。
ヤマブキの花が斜面を黄色に染めている。淡い黄色のヤマブキ、濃い黄色のヤエヤマブキの饗宴だ。わずかに花びらが細い種類のヤマブキも見ることができる。
休日の公園は人が多いのだが、今日は時々雨粒が落ちていたせいか、少なめだ。公園の下りからは長野市街地をみごとに見渡すことができる。眺めを楽しみ、車道から再び森に入って小鳥の声を聞きながら家に向かった。