青空が続くとソワソワしてくるのは私の専売特許かと思っていたら、夫が「居谷里湿原に行ってみようか」と言う。居谷里(いやり)湿原は大町市の木崎湖の東に位置し、ザゼンソウが見られる湿原で、山と山の間とは言え端から端まで歩けばかなりある。幅130m長さ500mと、大町市の紹介にはある。
ザゼンソウは、葉が出る前に独特の形の赤紫の花が地面にぽつりと座っているように出てくるのが面白い。その姿が座禅をくんだ僧の姿に見えるから座禅草。4月の後半では少し遅いかと思ったが、葉が開き始めてもその足元に可愛い赤紫の花がチンと座している姿もまたいいので、急いで支度をして9時前に家を出た。
夫にはもう一つの目論見があったようで、長い運転も楽しそうだ。
長野から大町街道を進む。途中美麻で白馬へ向かう道を分け、山間の気持ち良い大町街道を走る。木崎湖へ向かって右折すると稲尾沢川沿いにクネクネとした道になる。川岸の木々が整備され、以前来た時よりも明るい感じになっている。
居谷里湿原の駐車場には数台の車が停まっている。途中の道の駅で寄り道したので、家から1時間20分ほどかかった。このところ晴れの日が続き乾燥しているので、湿原脇のコースも乾いているだろうとスニーカーで歩き始める。古い登山靴も持ってきたのだが、車の中でお留守番。
歩き始めてすぐ、ザゼンソウや水芭蕉が少ないと感じた。水の流れに沿うように、花菖蒲のような緑の葉がたくさん伸びている。看板にはガマやカキツバタの絵が描いてあるから、その仲間だろう。木道を歩いて湿原を渡り、小高いところに祀られた祠にお参りする。以前来た時はここから山道を登って行ったが、今日は周遊路に沿っていく。
まだ草の芽吹きも少なく、冬の衣をまとっているような大地に、若草色の葉が散らばっている。双葉の根元には赤紫の小さな花が横向きに隠れている。ウスバサイシンの花だ。
ウスバサイシンは、私の好きなカンアオイ属の仲間で、長野の山では時々見ることができる。林床に生えているウスバサイシンが湿原脇を歩く間たくさん見られて、嬉しいことだ。この辺りにはチシオスミレも咲いていたなぁと、探すと、まだ蕾のチシオスミレを見つけることができた。
さて、楽しみにしてきたザゼンソウはそろそろ咲いているだろうか。それらしい丸い団扇のような葉がポツリポツリと開き始めているが、その足元に目をこらしても紫の花は見えない。水芭蕉も、リュウキンカもあまり広がっていないのは、まだ季節が早いだけなのだろうか。
湿原の遊歩道は、森の斜面と湿地を分けるところを縫うように奥へ続いている。斜面にはキクザキイチゲがたくさんあるが、花は終わりに近づいている。スミレも何種類か咲いている。淡い桃色や紫色で『なにやらゆかし(芭蕉:山路きてなにやらゆかしすみれ草)』と言いたくなるような心惹かれる花だ。だが、日本には何百種ものスミレがあるそうで、なかなか名前がわからない。稀にわかるものは嬉しくてその名を呼ぶが、あとは一様にスミレと括ってしまう。
ザゼンソウがポコポコと顔を出しているが、黒くちぢれたようになったり、崩れそうになったりしている。触るとポロポロとこぼれてしまうものもある。どうしてこのような状態になってしまったのだろう。咲き始めたところに霜が降りたかららしいと聞いた。ザゼンソウは、もともとまだ冬と言ってもいい頃に、葉が出ないうちに花が咲く。だからか、ザゼンソウの花は発熱するのだそうだ。なぜどのようにという仕組みが解明されてはいないようだが、寒冷な環境から身を守るためでもあると考えられている。ではなぜ、今年の居谷里湿原の花は霜枯れのようになってしまったのだろう。もう暖かくなってきてからの霜だったからだろうか。
湿原の遠く木々の梢の向こうには、青い空にアルプスの嶺がくっきりと稜線を描いている。湿原の中央には赤く染まった枝が広がっている。赤い花が青空に映えている。ハナノキ、別名ハナカエデが示すようにカエデの仲間だそう。花盛りだ。ハナノキを仰ぎながら湿原を回り、居谷里一番水の冷たさを楽しんで湿原を後にした。
夫の目論見とは、松本に足を伸ばして登山靴を買うこと。神奈川に住んでいた時に頼りにしていたスポーツ店に行き、足に合った登山靴を見繕ってもらった。車に積んで行った古い靴を示すと、すぐに探してくれた。
長い高速道路も素晴らしいアルプスを眺めながらの快適な走り。新しい靴を積んで家に向かう道中、「これでもう滑らないぞ!」と、夫が笑う。