それは1年前のこと、新型コロナウィルス感染症が猛威を振るい始め、外出も自粛を要請されていた。私たちは近くの山歩きを楽しむことで日々を過ごしていた。自然の広々とした大気の中ならいわゆる三密状態(密閉、密集、密接)が避けられるから。
そして、一度見たかったタカトオコヒガンザクラを見るチャンスだと話していた。関東に暮らしていた頃から高遠の桜は有名で、その季節になると道路の大渋滞のニュースが聞こえてきた。渋滞は苦手だから諦めていたが、幸か不幸かコロナ感染防止のため祭りが中止となった。明日行ってみようかと話していたら、翌日公園も閉鎖することになったとのニュース。一日遅かったね、咲き始めたという桜、見たかったなぁ。
あれから1年、相変わらずコロナは猛威を振るっている。試行錯誤しながら生活の豊かさを追いかけている人間のやることを、人知を超えたものがあるのならどんな風に見ていることやら・・・。
それはともかく、今年はさまざまな予防策をしながら高遠城址公園は開放されるらしい。一足先に3月末に行ってきた友人からはほぼ満開との便り。
前日山からいただいてきた蕗の薹で蕗味噌おにぎりを仕立てて、出発。
久しぶりの長距離ドライブ、少しずつ緑が濃くなった山の間を南下していく。姨捨を過ぎると山の中に入っていく。冠着山、聖山などいくつかの馴染みの山を越えていくと松本平に出る。常念岳が大きく眼前に立ちはだかる。豊かな安曇野を走り岡谷から伊那盆地に降りていくと高遠は近くなる。
十数年も前に大鹿村の山上に青いケシの花を見にいったことがあった。その帰り、鹿塩川を遡る国道152号線、別名秋葉街道を北上し、途中の中央構造線北川露頭で遊んだ。そして分杭峠を越え、三峰(みぶ)川のほとりを降り、美和ダムを越えてようやく高遠の町に入った。高遠のお饅頭を買い求めて、高速に乗った。
高速道路を走りながら、思い出話に花が咲く。
伊那インターチェンジが近づくと、高速道路の脇には大きな桜の並木が続く。満開の桜街道だ。「落語じゃないけれど、この桜を見て満足して帰っちゃう人もいるかもしれないね」と笑う。昔、善光寺参りにきた善人が、そっくりな作りの長野駅を見てありがたいと拝んで帰ったという小話がある。
高速道路を降りて山間の高遠の町に向かう。一本道だから迷うことはないが、城址公園の近くの駐車場に入ろうか、少し迷った。迷って一回りして、三峰川の河川敷に設けられた無料駐車場に車を停めた。ここはちょうど支流の藤沢川が岩を削るように白波を立てて三峰川に合流するところで、川の緑と切り立った弁天岩とバックの桜が見事な風景となっている。私たちは弁財天橋を渡り、坂道を登って殿坂口から城址公園に向かった。城跡らしい何段かの平地を越えて城址公園に向かう。どこもかしこも満開の桜だ。藁葺き屋根の進徳館を見て車道を越えると城址公園の入り口だ。立派な高遠閣が聳えている。
空に花の幕を広げたような公園の中は花見の人で賑わっていた。入り口で検温し、手の消毒をして入る。密になるほどではないが寂しくもないほどの人が動いている。私たちはまずはおにぎりを食べようと飲食コーナーに行く。小さなシートを持ってきたが、今年はシートを敷いて食べるのは禁止。桜の花を囲う木の柵にも「ここに座らないでください」と書いてある。立って食べるのか〜と、奥を見ると、出店の近くの2本の桜の柵には人が寄りかかっている。ここだけ「ここに座らないでください」の紙が貼ってない。
私たちは柵の角に並んで寄りかかり、蕗味噌おにぎりを食べた。目の前には空一面のタカトオコヒガンザクラ。
ここの桜を『天下第一の桜』と呼ぶそうで、その大きな碑が立っている。130年以上の古木が20本、50年以上なら200本もあると言うだけにその姿は雄大だ。
城址公園という名の通りここには城があったが、明治初期の廃藩置県の時に壊されたそうだ。武田と織田の戦いの場であったり、江戸時代大奥女中の絵島が流された地であったりと、歴史上でもよく知られるところだ。城は取り壊されたが、本丸からいくつかの曲輪の間に巡らした堀の跡なども残っていて、城の地形がわかりやすい。
一部の堀には水も残っていて降りていくことができる。堀にはサカナが泳いでいて、カエルの声が元気だ。見上げると赤い欄干の桜雲橋が古風な姿を見せている。お堀の斜面にはアズマイチゲがキラキラ光っている。一面に広がっているのは福寿草の葉と名残の黄色。周りの人たちは上を見ることに忙しくて足元にこんなに綺麗な花が咲いていることに気がつかないようだ。
本丸を一回りして、そろそろ帰ろうか。入り口の近くにハート形の記念撮影用の看板が作ってあった。私たちよりさらに年配の人が若者にシャッターを押してもらっている姿がなぜかとても気持ちが良い。友人の「恥ずかしい〜」と笑う声が聞こえそうだが、私たちも記念撮影。今度はいつここへ来られるかわからない。
そしてもう一つの目的、大好きなお饅頭をしっかり買い求めて車に戻った。