午前中の用が済んで遅い昼食を食べながら、「少し歩いてこようよ」と言う。昨日は冬に舞い戻ったように北風が吹いて寒かったけれど、一転して今日はポカポカ春陽気。
「こんな日に出かけないのはもったいない」「大峰沢から小丸山まで歩いてこようか」。というわけで、おやつと水だけ持って出かけることにした。
大峰沢の左岸は藪に覆われているが、右岸は斜面に広く畑が耕されている。畦道には一面にオオイヌノフグリが開いてブルーの道になっている。その間にオドリコソウの濃い赤紫とヒメオドリコソウの薄いピンクが春ですよ〜と囁くように顔を出している。西洋タンポポの黄色もいくつか咲き出した。
花を眺めながら登り、竹のトンネルを潜ると戸隠への道に飛び出す。左に折れれば小丸山公園だ。夫は朝散歩に、私は暇な午後の気晴らしに、もちろん二人で歩くことも多いが、時々訪れるところだ。いつもは奥まで入らずに通り過ぎるのだが、今日は目的にしてきたのだから小丸山のてっぺんにちゃんと登りましょう。公園の真ん中にもっこりと盛り上がった山の頂に立って「はい、登頂」と笑う。ふと見ると、脇の古いお堂のところに人が動いている。そう言えば、新聞に書いてあったっけ、最近このお堂を修復している人がいるって。
私たちは、お堂に近づいて行った。「こんにちは」と声をかけると、にっこり応えてくれた。開け放った本堂に和太鼓が見えたので「太鼓を演奏されるんですか」と聞くと、「日蓮宗ですからお経をあげるときに使います」とのこと。信仰心の薄い私は、仏教のことにもあまり詳しくはないが、長野育ちの夫は尼僧がここを守っていらしたことを知っていた。その後長らく放置されて荒れていたこのお寺を、今修復している菅井さんは僧ではなく音楽家だそうだ(菅井秀樹『世界子ども音楽交流プロジェクト推進委員会』代表)。世界中の子ども達が音楽を通じて生きる喜びを感じ合えるような活動を目指していらっしゃるそうだ(世界子ども音楽交流プロジェクトのサイトから)。インドやネパールを回って日本の音楽を教えるなどの活動をされているときに出会いがあり、長野のここにある寺を任されたという。堂内に掲げてある写真の和尚さんは、ガンジーさんの友人でもあったそうで、平和を願う素晴らしい方だったそうだ。
私の頭に残るのは聞いた話の一部だけだけれど、菅井さんは時間が取れればここにきているとのことだから、また尋ねれば聞かせてもらえるだろう。
本堂の建物の修復も大変なことだけれど、周囲の藪を切り払い、明るい落ち着いた広がりにされているのはすごいことだ。庭のちっぽけな木をいじるだけでも何日もかかってしまう自分達の生活を見れば、その労力のいかに大変なことかが分かろうと言うもの、頭が下がる。
藪を切り払うことによって虫が増え、小鳥も増えたと笑顔が素敵だ。「ここに鶯が住み着いているみたいなんですよ。綺麗な声で泣くんですよ。ホケキョウ(法華経)って」最後に落ちもついて、笑いながらお別れをして先に進んだ。
小丸山公園から戸隠への道を渡ると歌ヶ丘。大峰山への登山口でもあるここにはたくさんの歌碑がある。歌碑を横目に峰に取り付くとすぐ四阿が立っている。ここに座って景色を眺めながらおやつタイムとしよう。目の前の木にはサルノコシカケ、この椅子に座って眺めたら気持ち良さそう・・。
景色を見下ろしながらおやつを食べ、登り始める。シュンランの蕾が緑色になってきた。もう少しで開きそうだ。道の脇の大岩の上に登って遊んだり、花の蕾を探して森の中を歩いたり、草木が茂る前のひとときの楽しみだ。
分岐に到着、物見岩の下へ続く道を行く。平らな笹の道を過ぎ、右の沢に崩れそうになっている道を進むと物見岩の下に出る。歌ヶ丘も物見岩も大峰山への登山コースだが、今日はここから花岡平の方へ下る。午後散歩の優雅なコース。
花岡平の霊山寺には川中島合戦勇士の首塚が祀ってある。歴史に興味があるという孫と一緒に来たことがあるが、久しぶりにお参りしてみた。首だけの白骨がたくさん発掘されたそうで、合戦の時の首を検分した後というから恐ろしい。その首を塚に納めて祀ってあるそうだ。
再び戸隠への道を越え、ジグザグ坂を下って帰路に着く。いつもはまっすぐ坂の街に続く道を行くのだが、今日は伊勢社のダンコウバイがふくらんでいるか見て行こう。雪の中で大きくなっていた蕾はもう開いているのではないだろうか。
伊勢社からは市街地と志賀、菅平の山が綺麗に見渡せる。梅が満開だ。ダンコウバイは黄色が顔をのぞかせているが、開花まではもうちょっと。春はそこまできているね。
伊勢社にお参りし、表参道の急な山道を一気に降って家に向かった。