神奈川に住む友人が、コロナ感染予防の自粛生活を豊かにするために散歩コースを開拓しているという。かつて私たちも時々足を運んだ仙元山、披露山、二子山などの名前を見て懐かしく思い出した。
葉山の海岸から森戸川を遡るコースは子供たちと一緒にたびたび歩いた。そのまま分水嶺を越えて東京湾側へ降りたこともある。東京湾側の田浦から山へ入りウバユリの群落を見たりハンミョウの綺麗な羽の色を追いかけたりして山を越え、源流から森戸川沿いに太平洋まで歩くコースも面白い。森の中のサイハイラン、フタリシズカ、ニリンソウ、ウラシマソウ、ホウチャクソウ、さまざまな花が咲いていた。
このコースは、『三浦半島自然保護の会』のシバさん(柴田敏隆 コンサベーショニスト1929-2014)や、園田先生(園田幸朗 ナチュラリスト、画家1933−2009)と一緒に歩くことも多かった、懐かしいところだ。
源流域で捕った魚を唐揚げにしたり、山菜の天ぷらを作ったり、マテバシイの実を粉にして縄文ピザを焼いたりした。小学校低学年の娘はいつもココア係でシバさんと一緒に鍋の番をしていた。誰かが私たち親子とシバさんの交わすジョークが面白いと写真を撮ってくれたが、暗かったせいか、笑いながらシャッターを押したせいかピンボケ。でもシバさんが亡くなった今では懐かしい1枚だ。
自然観察の会で一緒に歩いた園田先生は8ミリ映画制作でも有名な方で、みんなの森での姿を何本も映画にされていた。私も息子や娘も何回かナレーションを申しつかった。8ミリ映画は家では再生できないが、今もどこかで観ることができるのだろうか。
この森戸川から二子山まで最後に歩いたのは、1999年春だった。子供たちが中学高校と進学してからは三浦半島の山を歩くことが少なくなっていた。久しぶりに夫とのんびり歩いてこようと出かけた日は、歩いている間誰にも会わない静かなハイキングだった。
葉山の長柄から歩き出した時はもう正午だが、少し遅くなっても景色の良いところで食べようと、おにぎりを持って森戸川を遡る。川岸が一部崩れて小さい川ながらも水流の大きいことを感じさせられた。
以前この川岸の森の中に野生化したシャモが数羽住んでいた。元気な小学生たちはなんとかシャモを捕まえようと何人かで挑戦したが、すばしこい野生には敵わず諦めた。
そんな思い出話をしながら二子山へのコースに入っていく。思ったより道は狭く、何度も川を渡渉する。水量はあまりないけれど、しっかり流れている。「こんなに低い山なのに、どこから湧いてくるのだろう」「雨もそれほど多くないのに、不思議だね」話しながら気をつけて川を渡る。
首都圏近くの低山だけれど、自然が豊かだ。緑濃い森を登っていて思い出した。娘が小学校低学年の頃、このコースを歩いていた時のことだ。フー君という、とても自然のことに詳しい青年がいて、当時は沖縄で暮らしていたが、たまたまその時は帰省していて一緒に森戸川を歩いていた。ちょっと休憩しようと立ち止まった時、ふっと森の中へ入っていったと思ったら数分で大きなヤマカガシを抱えて戻ってきた。みんなびっくり。この巨大なヤマカガシは娘と身長比べをして130cmほどということがわかった。シバさんはこの辺りの最大個体かもしれないと、大喜び。娘との身長比べの写真をスライドに起こして講演会で使ったそうだ(もちろん撮影した私と被写体の娘のOKを確認して・・・蛇君の意思は??)。
娘も息子も蛇を見て怖がることはなかった。息子は大きなアオダイショウを抱えて帰ってきて「飼いたい」と言ったこともある。娘の誕生日頃には毎年大きなアオダイショウが玄関前に来ていて、娘は「危ないよ。早くおうちに帰りなさい」などと話しかけていた。
さてそんな話をしながら登ると、中尾根に出る。爽やかな風の渡る気分の良い場所で、おにぎりを食べる。午後1時、お腹がいっぱいになり、もうひと歩きだ。二子山山頂の草原に立つ。標高207.9m、惜しい、あとちょっとで208mだったね。山頂の山名版の小数点を指で押さえて夫が笑う「ほー、ここは2000メートルもある」。
確かに東京湾の向こうには房総半島も見えている。見晴らしが良いではないか。2000メートルにしては、照葉樹が茂ってるけれどね。
景色を見たり、花を見つけたり、座ってのんびりしたり、山頂を満喫して午後3時、私たちは降ることにした。バスの時間は調べてこなかったので、JR東逗子駅までぶらぶら歩いて帰ろう。三浦半島の真ん中を緑色に染まりながら歩く素晴らしい一時は、忙しい日々を彩るご褒美だ。