寝違えたらしく、首が回らない。振り返ろうとすると、体全体を回すことになる。3日目になってようやく少し楽になった。朝の雑用をしていると、夫が「足慣らしにどこかへ行こうか」と言う。春の気配が近づいて、私たちの話題は花を見にどの山へ登ろうかという内容が増えてきた。山へ行こうと決まると首の痛みも軽くなった気がする。現金なものだ。
いくつかの候補から茶臼山方面に決めたのは、前回山ノ神に行ったときに標高が高い一本松から降りて山頂を踏み、今度は登り返して帰るという逆転の登山だった(※)から、改めて下から登って行こうという思いもあった。まだ歩いていない中尾山温泉からのコース二つを周遊してみたいというのも理由の一つ。(※山歩き・花の旅135 有旅茶臼山、茶臼山、山ノ神)
早速おやつをカバンに詰めて出発。家を出たのは9時、中尾山温泉に到着したのは9時半だった。温泉には車がたくさん停まり、浴衣にコートを羽織った若い女性たちが楽しそうに歩いている。看板には『お見合い露天風呂』と書いてある。寂れた温泉宿かと思ったら、賑わっているんだねと、失礼な感想を言い合いながら登山道に入った。登山道の入り口には南無地蔵尊が祀ってあるので、お参りをして出発。
まずは一本松コースを登る。左斜面に工事中の柵が張り巡らされているので迷ったが、柵の前に登山路標識があった。柵の前を右に山道をぐんぐん登る。遠く前方には白い崖が木の間隠れに見えている。すごいね〜と話しながら左に曲がると、いきなり目の前に同じ白い崖が立ちはだかる。この辺りはどこもこの岩でできている山なのだろうか。
この白い岩は裾花凝灰岩といい、700万年から800万年も前に海底火山によってできたものだという。今見ている茶臼山周辺から安茂里地区(※)の方まで、長野の西部にはこの白い崖が多く見られる。 (※山歩き・花の旅89 安茂里白土の崖、富士の塔山麓)
それにしてもこの白い崖にこれほど近づけるとは、すごい。しかし、この岩は細かく削れてくるようで、少しずつ崩れ落ちた岩が足元に堆積している。しばらく歩くと、粒の大きな砂のような綺麗な石が、まるで人工的に敷かれたように広がっている場所に出た。長い年月の間に広がってきたのだろうか。
私たちは、白い崖の間の道を上り、一つの乗り越しに出た。まっすぐの踏み跡は降っているので、左の森の中を登った。さっき見上げた白い崖の尖った先端が、左に並ぶように見えてくる。初めは踏み跡があった道だが、ピークに到着する頃には薮になっていた。小さなピークだが、周囲は急な斜面になっているので引き返し、もう一つの降っていく道に戻った。すぐ登山道の標識があり、やはりこっちだったかと安心する。
ここからは一息で山ノ神531mに到着。小さな祠が二つ祀ってある。私たちが山頂で写真を撮っていると、熊鈴を鳴らしながら山道を降りてくる人がいる。見ていると、MTBに乗った若者が「こんにちは」と大きな声で言って走り去った。ヘルメットとゴーグルで顔が見えなかったから「三笠山で会った(※)プロニートのお兄さんだったかしら」などと言うときにはもう姿はとっくに消えていた。 (※山歩き・花の旅133 嬉しい出会い 三笠山)
山ノ神を後に、もうひと登りで一本松。どんどん暖かくなって、春間近という陽気だが、日陰にはまだ雪がへばりついている。しかも水溜りには氷が張っている。今日はお昼を持ってこなかったのでここから小松原コースと呼ばれる森林の中を緩やかに下るコースに進む。あとは降るだけというのは少し寂しい気もして中尾(なこお)山に上がってみることにした。以前茶臼山から一本松まで来たときにも登ってみたのだが、山頂には特に目印もなく高みを歩き回って降りた。春から秋には藪が茂ってしまうので歩けないが、冬の森は自由に歩けるのが嬉しい。周囲を眺め、地図を見て、ここが1番の高みだというところで中尾山山頂の記念撮影をした。手書きの看板を入れたのはちょっとしたお遊び。
森を歩いていくと左手木々の枝の向こうに北アルプスが真っ白に見えている。ぐるりと右回りに歩いていくと展望台へと矢印のある看板が立っていた。東京電力の鉄塔が立っているところだ。期待して行ってみたが、大木は切ってあるけれど、若い木がすでに伸びて枝を広げているのであまり大きな展望は得られない。それでも、白馬岳へ続く不帰ノ嶮から唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳などの峰々が大きく見えている。
満足してここでちょっとおやつタイム。再び中尾山温泉へのコースに戻り、降り始める。登山道脇の森は荒れぎみ、クマの爪痕らしい傷もあった。ツル植物に巻かれて傾いた木や大きく皮が剥がれて痛々しい木が多い。ふとみると、太い木の幹にとても小さな蝉の抜け殻がくっついていた。ハルゼミだろうか。今年の蝉はまだ地中だろう。これは昨年春に鳴いていた蝉かな、埃まみれになりながらしっかりしがみついているのが可愛らしい。
荒れた森を抜けると、林道に出る。登るときに見上げた白い崖が向こうの斜面に見えてくると花井神社の鳥居も近い。400年も昔に川中島平に用水路を開発した花井氏を祀った神社だそう。
そして、眼下に川中島の広がりを見下ろすところで鉄ちゃんの夫の目が光った。目の前を横切る線路、見上げれば雄大な菅平、「電車が来るのを待とう」。しなの鉄道、北陸新幹線を何本か見送って、私たちは満足して帰路についた。