笠岳は長野市から東に見えていて、隣の横手山と対照的な形で並んでいる。横手山は大きなお皿を伏せたような緩やかな山容で、その左にきれいな三角のとんがりを見せているのが笠岳。志賀高原と言えば冬はスキー、スリーシーズンは様々なコースのトレッキングと、四季折々の楽しみ方ができる広い自然エリアだ。その志賀高原と高山村の接する境に笠岳はそびえている。私たちも志賀高原にはスキーや登山、森林散策と何度も訪れている。横手山には、スキーで、夏のスカイレーターで、リフトでと、何度か登っている。笠岳の南西斜面に広がる山田牧場スキー場にも来たことがある。標高1500mの高所に広がるオープンスロープは気持ち良いが、雪が舞うと寒さに震える。
車で須坂から山の中に入って行く。高山村に入り、松川沿いの道を登る。五色温泉に至る松川渓谷はみごとと言うしか無い錦を広げている。渓谷にはいくつもの滝があり、散策コースもたくさんあるようで、点在する狭い駐車場には沢山の車が並んでいる。ここは観光地なのだと気づかせられる。道はかなり狭く曲がりくねっているから、運転している夫は大変だったと思うが、私は隣で次から次へと続く自然の錦織を楽しんだ。
さらに奥に進むと七味温泉に続くところを左に折れ、渓谷から離れる。山田牧場に向かって登って行く。スキーに来たことがあるはずなのに、初めて走るような気分だ。季節が変わると、印象が違う。牧場を越え少し開けたところに車を停めて、笠岳の中腹の紅葉を眺める。明るい青一色の空をバックに広がる山肌は、所々に緑が混ざる落ち着いた色合いだ。
森の道を少し散歩して、再び車で登る。笠岳の肩には峠の茶屋があって、駐車もできる。私たちはそこで足元を整えて歩き始めた。
峠の茶屋の裏から登りが始まる。広い道だと思ったのは一瞬で、急な登りになる。一気に上がって、下に愛車が見える。小さい。花はほとんど終わりになっていたが、タカネニガナか、黄色い花びらが明るくポツポツと咲いている。峠の茶屋から山頂を仰いだ時は、木よりもクマザサの広がりが目立っていたと思うのに、歩いてみれば道を隠す樹高の木々がある。ジグザグの登りはすぐ終わりになって、まっすぐ急な階段が続く。よくこれだけの階段を作ったね、登っても、登ってもまだ階段。とてもありがたいけれど、なかなかきつい。
最後の壁には直登コースがあると地図に出ていたが、立ち入り禁止の案内が出ている。崩れているようだ。少し巻いている方の道を行く。ゴロゴロの大きな岩ばかり、ロープが取り付けられている。浮き岩に足を乗せないように気をつけなければいけないが、こういう場に来るとなんだかワクワクしてくる。目をつむっていても交互に足を出せば歩ける舗装路とは違う、自分の足の裏ほどの平らな場所すらない。足が喜んでいる。
あまりハードだと翌日の筋肉痛というおまけがついてくるのだけれど・・・。幸い笠岳の登りは、面白いと思い、もうちょっと続いてもいいかなというところで終わった。
重なった岩の間にはけっこう隙間があって、覗くと苔がむしている。苔の覆う岩の間にはゴゼンタチバナの実も赤くきれいだ。
笠岳は輝石安山岩で形成された溶岩円頂丘だそうで、隙間だらけのゴロゴロしている岩肌を見ると、大地としてはまだ新しいのかと思える。
岩場を登り切ると、山頂に飛び出す。大きな岩がそびえていて、その上にケルンが積んである。私と夫はその大きな岩によじ上った。ここは狭いから二人くらいがやっとだ。山頂そのものは思ったより広くて、何組かのグループがいた。交代で岩に登り写真を撮りあった。
女性2人と男性1人のグループは、新潟から来たと言う。自分たちが年を重ねたことはもちろん自覚しているけれど、このグループの女性2人は私たちよりさらに年配だ。男性は「ロープを持ってきた」と言い、「なんと言っても彼女たちを山頂まで連れてこなくちゃいけないからね」と笑った。ガイドブックには直登の岩場があると書いてあったと言う。「それほどではなかった」という男性に、私が「崩れているみたいで進入禁止になっていました」と言うと、「そうかそっちのことだったか」とうなずいていた。
思ったより簡単に登れたことが良かったのか、物足りなかったのか人それぞれだが、360度の展望はやはり素晴らしい。特に目の前に見える御飯岳の立派な姿に感動した。登ってみたい。けれど御飯岳はルートが無いそうで、残雪期にエキスパートが登れるだけらしい。
山頂の岩の影には小さな祠が隠れるようにあった。『笠嶽神社』と書いてあったので、無事登れましたと報告して、下ることにした。
急な岩場と階段を転ばないように下る。見晴らしが良いので苦にならない。眼下に広がる山肌は緑濃い針葉樹と、柔らかな色合いに今年最後の息づかいを感じさせる落葉樹の紅葉と、淡いグリーンが風に揺れるクマザサの広がりがどこまでも続いている。
クマザサはあまり広がりすぎると小さな野草の生きる隙間を奪ってしまうので、私のかってな感想ではあまりクマザサだけの山にはなって欲しくない。だけど、上から眺める笹葉の揺れる波はとても美しいとも思ってしまう。この矛盾!
適度に人が入って手入れをすれば良いのか、熊さんに沢山食べてもらうのが良いのか、頭が痛いけれど、色々考えながらも、美しい景色の中を峠の茶屋まで下った。
ちょうどお腹が空いたので、茶屋でキノコうどんを食べることにした。山で採れるキノコかと思ったら、茶屋の主が言うには、「キノコはどんなに知っている人が採っても間違いが無いとは言えないので、買ってくる」そうだ。近くで食べていた二人連れは新潟から来たと話していて、茶屋の主人も新潟の人だそうで、笠岳は新潟に縁があるのだろうか、などと思ってしまった。
お腹がいっぱいになったところで、今度は志賀高原側から帰路につくことにする。峠を下れば熊の湯だ。車を停めて歩いてみる。源泉の流れ出る水路はイオウを含むからだろうか、真っ白い。空気に触れた辺りは少し黄色がかっている。
笠岳と向かい合う山の斜面は、西に傾いた日の光を受けてシラカバが輝いている。オレンジ色に光を反射する葉がわずかな風に揺れて、時々ふわりと舞い落ちてくる。白い幹の上に点描の世界が広がる様はいつ見ても息をのむ。無数の葉は一枚とて同じ色は無いのに、素晴らしいハーモニーだ。点描の画家たち、印象派の画家たちが移りゆくものをなんとか画布にとどめようとした思いが分かるような気がした。
熊の湯源泉あたりの紅葉を楽しんだ後は、田ノ原湿原に向かう。田ノ原湿原の周囲のカラマツは天然林なのだそうだ。高さが一様でないのはそのためか。広い湿原も今は一面草紅葉。クマザサが入り込んでいるのがよくわかる。
湿原の向こうに、登ってきた笠岳がポンと頭を出している。長野方面から見ると三角の山頂だが、こちら側から見るとぽこんと丸くてかわいい。
ゆっくり散策を楽しんでから帰路に着いた。