3月、年度末、様々な出来事をここで一回締めて新規巻き直し、新しい年度に向かって気を引き締める。
しかし、長野の山はまだ雪に埋れていて、「もう少し待って」と言っているようだ。
長野に引っ越してきてすぐの頃は、大峰山828mまで足を伸ばさず、より近くの地附山733mだけ歩いて帰ることが多かったのだが、次第に二つの山を歩くことが増えた。たった100メートルほどの標高差だが、植物相は結構異なっている。
3月の大峰山はまだ冬の衣をしっかり纏っているが、雪が少ないので、山頂部にはすでに春一番のミスミソウが美しい花を開いている。 日陰には雪が残っていても、大地は少しずつ暖かくなり、春の息吹が感じられる。
山頂にはかつて蝶の博物館として建てられた城の天守閣を模した建物がある。現在は閉められて一般者は入ることができないが、中にはまだたくさんの蝶の標本などがあるらしい。周辺の草木は、その頃人工的に移植されたものもあるかもしれないが、この地に根づいたのであれば嬉しいものだ。
4月になると町は一気に春の気配が濃くなり、初旬には桜が咲き始めるが、山の上ではまだ冬と春が行ったりきたり。それでも日に日に花が開き、季節の動いていく様を実感する。ショウジョウバカマ、シュンランは登山道のそこかしこに見られるが、山頂部には透き通るようなトキワイカリソウの白が踊っている。見上げれば梢にも木の花が日の光を浴びている。ダンコウバイの明るい黄色は遠くからでも山肌を明るくしているけれど、目立たない小さな花もたくさん咲き出している。
それでもまだ長野の北に位置する大峰山は春爛漫という感じにはならない。冷たい風の中で春の歌声を遠くに聞いている。面白いことに雪の下で眠っていたキノコが転がっているのを見つけることがある。何年も生きるというサルノコシカケの仲間は冬でも見られるが、雪解け後にツチグリが転がっているのを見つけると楽しくなる。
5月、いよいよ山は笑い出す。木の花も草の花も咲き出してくる。動物も動き出すのだろう、大きなジムグリに会ったことがある。道の真ん中で日向ぼっこでもしていたのか、私たちの足音で慌てたように、近くの木の根に潜り込んだ。ところがその木の根の洞は行き止まり。ジムグリさんも慌てただろう。全身を潜り込ませて頭をこちらに向けてじっと様子を伺っている。「写真だけ撮らせてね。すぐ行くから」と、声をかけて撮影したが、ビクビクしていたのではないだろうか。
大峰山の山頂には大きなトチノキがあり、花の季節には見事だ。5枚の葉も大きくて目立つが、白い花もツンと立って目立つ。8月の終わり頃には大きくなってきた実が茶色に染まってくる。大木は花が遠いことが多いけれど、大峰山のトチノキは近くで見ることができるので嬉しい。
トチの実と言えば栃餅を思い浮かべる。昨年どっさり落ちていたトチの実を拾ってきて作ってみた。何週間も水につけたうえ、最後に木灰につけてアクを抜くのだが、薪の暖炉を使っている友人から灰をもらってようやくできた。その手間のかかること!まぁまぁの出来ではあったが、再び挑戦する気にはなれそうもない。昔の人のエネルギーはすごかったのだなぁと感心する。
動き出した山の気配を楽しみながら、花を探して歩く5月、三角点の近くに咲いているツリバナをいつも楽しみに見に行っているが、綺麗な実を吊り下げているのを見たことがない。昨年(2020年)は5月の花の季節から見に通い、8月に今にもこぼれそうになっている青い実を見たのだが、その後行ってみたら、一つもなくなっていた。大きな虫がくっついていたから食べられてしまったのだろうか。今年こそは大峰山のツリバナ(実)を見ようと楽しみにしている。
6月7月は次々に夏の花が咲き、一方で春咲いていた木の花が実ってくる季節。モミジイチゴの実も、ミヤマウグイスカグラの実も、ちょっぴりいただいて味見をする。実と言えば、ツルアリドウシの実はおへそが二つある。花が仲良く二つずつ咲くからなのだろうか。
何年も登っていてもぼんやり歩いていると見落としていることがたくさんあるが、月日を重ねることで見えてくる。それでも一回しか見たことがない花がある。薄紫の小さな壺型の花、ウラジロヨウラクの仲間。図鑑で見れば、ガクが長いこの花はガクウラジロヨウラクというらしい。見つけたのは数年前だが、まだ蕾が小さい頃に見ただけなので、今年こそは満開の様子を見に行こう。
私にとって木に咲く花は、見つけにくいという印象がある。見つけてもなんという木の花かわかりにくいということも、その理由の一つだと自覚している。だから、見つけると写真を撮ってきて図鑑と見比べる。それでも名前がわかることは少ないくらいだが、わかる花だってあるから楽しみだ。
秋には赤い実が目立つソヨゴの花、ネジキの純白の花、そんな花たちを見つけると嬉しくなる。
草の花も、正確に特定するのが難しいこともあるが、それでも木の花よりは名前を見つけやすいと思う。昨年6月にはフタリシズカに会えてびっくりした。関東の山では当たり前のように見ていた花なのだが、長野の里山を登っていて見たことがなかったから。特別珍しい花ではないかもしれないが、こういう出会いは嬉しい。
8月になると標高の低い里山はつい敬遠しがちだ。暑さで閉口してしまう。だが、暑い季節には暑い季節の楽しみがある。大峰山の山頂に咲くシュロソウは株が大きく見事だ。昨年(2020年)8月に何回か登って、きれいな花を見た。足元にはヌスビトハギやヤマハッカが紫の小さな花をつけるのもこの頃からだ。山は秋の訪れを感じている。登山道の脇に大きな葉を広げていたオクモミジハグマが繊細な糸を束ねたような花を次々開いていくのも秋。綿毛は光を受けて絹のように輝く。
また、秋といえばキノコ。この季節になると遊歩道以外の立ち入りは禁止になる。キノコは毒の強いものが多いので見るだけだけれど、様々な色や形のものがあって面白い。傘の部分が穴だらけで虫に喰われているものも多いが、虫が食べているから食用となるとは限らないのだそうだ。やっぱり素人は見るだけでよしとしよう。
キノコは9月に雨が降ると一気に増える。この頃からが最盛期か。団子のような丸いキノコの天辺の穴から胞子が飛び出すホコリタケは大峰山に多い。押すと煙のように胞子が湧き出るのが楽しい。
10月11月木々が紅葉し、いよいよ山は眠りに入る準備を始める。呑気に歩いている私にはわからないが、森の動物たちはきっと冬籠りの支度を始めるのだろう。木の実が色づくと鳥も動物も嬉しいだろうと思って、何だか私もちょっぴり楽しくなる。森も眠りに入る準備をしているからか、キノコがたくさん生える季節だからか、菌を食べるという不思議な生き物粘菌も見つけやすくなる。まだまだわからないことが多い粘菌だけれど、その形の特異な様子に目を奪われる。
木々の葉が緑から赤に、黄色に変わり、風もないのにハラハラと降りかかってくると、森の空気が斜めの日差しを受けて柔らかくなる。
空気が爽やかなこの季節には、中腹の物見岩で登攀訓練をしている人たちに会うことが多い。一度「訓練して何処へ登るんですか」と聞いたら、「それぞれです」と答えが帰ってきた。下から見上げると、ニコニコ手を振っている人もいて、余裕だなぁ。
昨年(2020年)は12月半ばにドカ雪が降った。珍しい。山は12月から雪模様になった。遠くアルプスや志賀草津方面、菅平方面が白くなるのはいつものことだけれど、裏山に一面に雪が積もるのは正月を過ぎてからが多かった。
私たちが12月の初旬に登った時にはまだ秋の気配が強かったのに、雪をかぶった途端、真冬に様変わりだ。1月中、東北側の登山道は雪に埋もれ、人が踏み固めたところは厚い氷が張っていた。スキーをするように滑り降りてしまう時も、軽アイゼンを装着してゆっくり降りる時も、山を楽しむ気持ちに変わりはない。昨年末ドカ雪が降った時は、誰も歩いていない積雪30cmくらいの雪原に道をつけながら歩いたが、正月明けにはすでに何人もの人が歩いて踏み跡がついた。雪が積もると、動物の足跡や木の葉、木の実など森の落とし物が見やすくなる。木の枝や、物見岩の上などは当然だが、登山道脇に張り出した木の根に大きなツララがぶら下がっているなどという姿は見つけると思わず「発見」などと叫んでしまう。神奈川に住む孫に見せてやりたい光景だ。
何年か生きるというサルノコシカケは大小様々だが、この季節には雪の腰掛けになっている。そんな雪に埋もれた大峰山だけれど、ゆっくり春の準備も始まっている。木々の冬芽は少しずつふくらみ、花の蕾も日当たりの良いところから大きくなってきている。
暖かい日が続いた後の2月12日、歌ヶ丘から登った。1月に来た時はまだ白い景色だったが、もうほとんど溶けている。登山道には薄く雪がかぶさっているだけだ。南斜面に当たるからか、思ったより雪がない。花が天然のドライフラワーになっているのが面白い。オケラ、アキノキリンソウ、シラヤマギクなど、秋の終わりに楽しませてくれた花穂が茶枯れてツンと立っている。一方で、春を待つ新しい木の芽がどんどん大きくなっている。日脚は確実に伸びてきているのだと感じる。
ぼんやり暖かいせいか、山頂から見下ろす長野の市街地は霞の中に沈んでいる。それでも、夫のお楽しみのアルプスは見えた。五竜岳の山頂が見える。武田菱がまっすぐ目の前に見えて見事だ。
雄大なアルプスを見て一息入れ、まだ凍りついた道を一気に降る。
確実に春が来る。コロナウィルスに悩まされた1年だったが、確実に明るい明日が来ると信じよう。
大峰山の松も新しい命が少しずつ大きくなっている。