新しい年が開けた。新型コロナウィルスに翻弄された2020年だったが、まだまだ予断を許さない状況だ。例年正月休みにやってくる子供たちの家族も今年はステイホーム。こんな年に限って雪が多い。雪遊びをしたい小学生の孫は悔しがっているようだ。
我が家の裏山登山口にある駒形嶽駒弓神社は『滑らない』神社としてご利益があるという。孫達の高校入試の前にはみんな参拝した。今年は大学受験の孫もいるが長野に来られないので、私たちが代わりにお参りしてくることにした。雪道をゆっくり登る。梢に小鳥が遊ぶと雪の塊が落ちてくる。三が日青空は見えず、細かい雪がパラリパラリと気の向くまま踊っている。
翌日、久しぶりに青空が顔を出した。チャンス、裏山へ行ってこよう。大晦日から元日にかけて積もった雪は、山の中には20cmくらいはあるだろうか。ガチガチに凍りついてはいないかもしれないけれど、日が昇るまでは凍みているだろう。軽アイゼンを持っていくことにした。
駒弓神社への階段は踏み込まれた足形が凍っていて滑る。「行ってきます」とお参りして山道に入る。正月登山をした人がいるのだろう、何人かの足跡がついている。そしてやはりツルツルだ。数分登ったところでアイゼンを履く。快適。
少し先を歩いていた男性がふう〜と息を吐きながら道を避けてくれる。「アイゼン、正解ですよ。いつもの倍時間がかかる」と、苦笑い。「私も持ってくればよかった」という呟きを後に聞きながら、一足先に歩き出す。
パワーポイントに到着、東南の山が浮き上がって見える。志賀高原の峰々も、菅平も雪をかぶっている。数年雪不足に苦しんだスキー場もほっとしたはずなのに、今年はコロナで客足が伸びない悩み、皮肉なものだ。
雪の原に一本の踏み跡が続いている。その跡を踏みながら山頂まで一息。山頂に近づくとノウサギの足跡が縦横に横切っている。この登山道で会ったことはないけれど、たくさんいるんだ。ふと道の脇を見ると、大きな足跡がある。何の動物だろう。数歩立ち止まって30cmくらい開けてまたある。その間隔で森の奥に向かっていく。こんなに大きいのは熊さん?かな。でもクマは冬眠していると思うけれど・・・。
山頂からは北の山々が見えるはずだが、黒姫山、妙高山は雲の向こうに隠れている。なかなか快晴とはならない。まだまだ冬型気候の名残が残っているのだろうか。北の空は暗い。
誰もいない山頂を後に、先へ進む。ここからはあまり人が歩いていないのか、雪の量が多いのか、足跡が深い。スパッツをつける。森の中の一本道をザクザクと歩く。モウセンゴケ群生地はちょっとのぞいただけで通り過ぎ、スキー場跡に向かう。
雪をかぶった木々が幻想的だ。その向こうに飯縄山がどんとそびえている。雪は積もっているけれど、この斜面でスキーをするためにはもう少し厚く積もらないとダメだよね、きっと昔はたくさん降ったんだ。
大峰山との分岐まで一気に降りる。この辺りの森は木々が密集しているからか、ボサッボサッと落ちてくる雪の塊が頭にもザックにも容赦ない。雪まみれになった服を払い、見上げれば最後の細かい雪片がおまけのように降りかかる。首筋に入ると冷たいが、雪道を歩いてきて火照った体には気持ちいい。
アキノキリンソウやシラヤマギクの穂が雪面に顔を出している。森の恵みはどのように虫や動物たちに分け与えられるのか、不勉強を恥ずかしいと思うが、あまりに膨大な学びの世界の入り口で立ち止まってしまっている。それでも、自然の中にたたずみ、目にし、手に触れしているうちに細かな生き物たちにも親しみが湧いてくる。自分の楽しみのためだけに歩いているのだから、まぁゆっくりいけば良いか・・・。
大峰山へ登り始める。杉林を過ぎると、松枯れの影響か森が明るくなってくる。秋にたくさん咲いていたホツツジの穂が項垂れている。たまにツンと立っているのを見つけると「えらいね」などと声をかける。
山頂に到着。ここにも人はいない。足跡もない雪を踏み、三角点まで行ってくる。木の間から噴煙を上げている浅間山が見える。北アルプスは雲の向こうだ。
誰もいない(小鳥は遊んでいるけれど)山頂の城の軒下に腰掛けて、持ってきたおやつを食べる。爽やかな青空が気持ちいい。雲がゆっくり行ったりきたり・・・いや行くだけかな、流れている。ほんわかした雲だ、そろそろ雪もお休みになるのだろうか。
さてそろそろ帰ろうか。ぽっこり膨らんだ雪の形や、模様のように散らばっている落ち葉を楽しみながら降る。今年はソヨゴの赤い実がない。私が見つけられないだけかとも思うが、それにしても少ないと思う。冬にも緑濃い葉をつけているから冬青(ソヨゴ)、その緑濃い葉の間を覗きながら歩いた。
物見岩から雪が積もった善光寺の屋根を見下ろし、家に向かった。目が痛くなるような、一面真っ青な冬の空にはいつ会えるだろう。