生きていればいろいろなことがある。いつも元気とばかりはいかない。なんだか体調が悪くて夫の元気がなかった。病院に行って診てもらったら、心配することはないと医師のお墨付き。なんとなくだるいというのはむしろ厄介かもしれない。処方してもらった薬を飲んでいるうちに少しずつ戻ってきた。
「明日は晴れるみたいだよ。足慣らしに裏山に行ってこようか」と、夫。こんな言葉が出るようになればもう大丈夫。
そして翌日、真っ青に輝く秋の空、こんな日は気分も明るくなる。地附山の紅葉は、公園から登り始めるコースが一番綺麗だ。地滑りの後、手が入ったところだから、山歩きのコースとしては面白くない。しかし、広葉樹が茂る森は見事なカラーバリエーションで楽しませてくれる。
初夏のウメガサソウと秋の紅葉の時だけは、このコースに足繁く通う。
足慣らしと言いながらも、夫の足取りは軽快だ。ここしばらくは休んでいたが、毎朝散歩をしてきた脚力は衰えていないようだ。公園から森へ入り緩やかな坂道を折り返しながら登る。唱歌にあったけれど、お互いの顔も赤く見えるほどの紅葉に嬉しくなる。真っ青な空に、カエデの赤が輝いている。
パワーポイントと呼ばれる広場で一息。見晴らしが良いので、木のベンチに座ってのんびり展望を楽しむ。最近浅間山の噴煙が多いようだ。ふわりふわりと吹き上げる様子が見える。
しばらく楽しんで、山頂を目指す。いつの間にかセイタカアワダチソウが増えてきた。ほかの花は枯れても、黄色い花をたくさんつけている。もともとあった花ではないから、あまりはびこらないようにしないと他の花々の生活圏を奪ってしまいそうだ。
オカトラノオや、オケラ、センボンヤリなど、それぞれが秋の実りをつけている。いつも思うが、自然の造形はなんと素晴らしいのだろう。オケラなどはレース模様のドレスを纏っているようだ。
紅葉の頃になると木々の実も落ちてしまったり、鳥に食べられたりして少なくなるが、まだ残っている赤や黒の実を見つけることができる。
パワーポイントからは10分ほどで山頂だ。青空の下、飯縄山が堂々とそびえている。右奥に黒姫山、妙高山が続いている。何度登っても、この雄大な景色を見るとシャッターを切りたくなる。山の姿は一様だから、代わり映えのしない写真になるのだが、なぜか同じ姿を撮りたくなる。秋色に染まる山里の風景の向こう、妙高にはもう雪が乗っている。
今年は山頂のマツムシソウがたくさん咲いたように思う。何度も紫にそよぐ姿を楽しませてもらった。そして晩秋の今、ほとんどの花が実を飛ばし始めている中で、一輪だけまだ紫の色を残しているものを見つけた。今年最後の一輪だろう。
山頂からの眺めを楽しみ、稜線を奥に進む。昔はスキー場だったという斜面にモウセンゴケが残っている。乾燥しているこの山にモウセンゴケが生きているのが不思議だけれど、嬉しいことだ。ただ、私たちが登るようになってからの数年でも次第に数が減ってきているように思える。大切にしたいものだ。
もちろん、紅葉の季節にはモウセンゴケは眠っている。ウメバチソウが咲き残っているのを見つけることもあるが、さすがに今はどの株も実になっている。代わりにというのは変だけれど、コナアカミゴケの胞子が綺麗な赤で楽しませてくれる。 春から夏、目を楽しませてくれた花々も今は冬籠の準備、タネを飛ばし、ロゼットを広げ、新しい春に向かって眠りにつく。 虫や風に運んでもらった種が新しい大地で芽吹くのを待つのだ。そのための色、匂い、形、仕組み・・・それぞれの見事なあり方、自然の妙には頭が下がる。
山頂の展望を楽しんだので、帰るとしようか。赤に黄色に、輝くばかりの木の葉の中に、まだ緑のカエデも混ざっている。一気に下るのが惜しいような心持ちでゆっくり歩く。
ザクッ、ザクッと散り積もった落ち葉を踏むのも楽しい。ふと見上げれば風が通ったのか、サラサラと大きな葉が躍りながら流れていく。自然の中に身を置く楽しさを満喫しながら、地附山の紅葉に別れを告げた。