戸隠と一口に言ってはいけない。旧戸隠村、現在は長野市になったが、急峻な岩場の戸隠山を一番に思い浮かべるのは山好きだろう。戸隠古道を辿って宝光社、火之御子社、中社、九頭龍社、奥社まで五社ある戸隠神社にお参りする人も多い。奥社参道の杉並木は、その間を通ると思わず厳粛な気持ちになるような大木が続いている。最近はパワースポットとしても知られているそうだ。しかし参拝する人が多いからか、杉の勢いがなくなってきたような気がするのは私だけだろうか。広い植物園には、三脚に大きなカメラを乗せてこずえを見上げている人が多い。野鳥の宝庫だそうだ。
そうそう、忍者も忘れてはいけない。戸隠忍法資料館やカラクリ屋敷、子供の遊べるチビッ子忍者村もある。冬はスキー。 それから、戸隠といえば蕎麦も外せない。
日本神話の天照大御神が天岩戸に隠れていた話は有名だが、その天の岩戸が投げ飛ばされて戸隠の地に落ちたという言い伝えがある。その岩戸が戸隠山になったという。切り立った岩を見れば、昔の人が信じて見上げただろうと思える。戸隠にはもうひとつ、えらいお坊さんが、九の頭と龍の尾を持つ鬼を岩戸に閉じ込めたという言い伝えもあるそうだ。いずれにしても平安時代には修験道がたくさん入る霊場だった。
戸隠の森を歩くと、修験者の跡かと思われる痕跡に出会うことがある。一時は三千もの宿坊があったそうだから、それは不思議ではないのだろう。
その日は戸隠のかくれんぼを探しに行くつもりではなかった。見事に晴れた青空の下、鏡池の紅葉も綺麗だろうと、出かけたのだ。
鏡池まで往復して帰るつもりだったので、おにぎりも持たずに出発した。9時半にはみどりが池の駐車場から歩き始めていた。途中の嫗、翁にあいさつし、天命稲荷の赤い鳥居を横目に見て鏡池に着いたのは10時ちょっと過ぎ。圧倒される風景だ。雲ひとつないという使い古された言い回しがこれほど似合う光景にはなかなか出会えないだろう。
池の周りの紅葉はわずかに早いという色合いだが、すっぱり切れ落ちた戸隠山の岩壁には濃い赤や黄色の模様が描かれている。私たちはしばらく眺めていた。平日ではあるが、この見事な景色を求めてやってくる人は多い。
ただじっと見ていても飽きないが、朝ごはんを食べてこなかった私は池畔のお店の蕎麦ガレットを食べようと提案。テイクアウトして、草の上に座る。ポカポカとした日差しに包まれるような草原は最高の食卓だ。
1時間あまり鏡池の風景を堪能したので、重い腰を上げ、池の周遊コースを歩いてみることにした。奥に行くと分かれ道がある。『不動尊(磨崖仏)徒歩60分』の標識が出ている。 「行ってみる?」
「片道60分、往復すると戻るのが1時半くらいになるかな」
「どこかに抜けるのかもしれないしね。じゃ行ってみよう」決断は早かった。
しばらくの登り坂は広く緩やかで散歩道のようだった。カラマツと落葉樹が混ざった森はうっすらと秋化粧をしている。木々の間に遠く、槍穂高の連峰が見える。
20分ほど歩くと一つのピーク、小さな小屋に出た。中には紙垂が張ってある。何か祀ってあるのだろうか。行って来ますとお詣りして、ここからは下りだ。
最後は滑りおちるような急な坂を一気に下る。下は沢。見上げると、岩壁にお不動様。
「あ、ここだ」「まだ40分だよ」「もっと先にもあるのかな」。
沢を渡ったり、岩の後ろをのぞいたりしたけれど、道はここで終わりのようだ。このお不動様が目的地なんだね。昔の修験者は、どうやってこんなに高いところに彫ることができたんだろう。修行とは言え、ものすごい精神力だ。そしてもちろん精神力だけでは岩は彫れない、たくさんの工夫と努力が必至だ。
私たちが磨崖仏を見上げていると、急坂の方から賑やかな話し声が聞こえて来た。あの急坂に難儀したらしく、時間をかけてやって来た人たちは、何年も気にかけていてようやくやってくることができたと、嬉しそうに磨崖仏を見上げていた。そして「もっとたくさん掘っておいてくれればいいのに・・・」などと、話している。
う〜む。これだけでも大変だと思うけどなぁ。
下りでは滑りそうで苦労した道も、上りは呆気なく思ったより楽だった。鏡池の周遊道路に戻り、植物園を通って車に戻る。木道には今日もたくさんのカメラマンが三脚を立てている。
戸隠にはいろいろなものが隠れんぼをしているようだ。これからもビックリの出会いがあることを楽しみに、戸隠に出かけよう。