ちょっと気になる山があった。志賀高原にあって、あまり有名ではない山、坊寺山。しばらく前から行きたいと言い続けてきて、ようやく目指して出発。古い地図を見ていたのがいけなかった、田ノ原湿原から石ノ湯に向かう道を歩くつもりで登山靴に履き替え意気揚々と歩き始めたら、すぐ『通行不可』の看板が。仕方がないので、車で石ノ湯まで行く。
ガタガタ道を降りて、今度こそはと登山口に向かう。坊寺山の前に大きな岩が立ちはだかり、その下には黄色一色に染まった秋の森。川沿いの湿地にはガマの穂が一面に揺れ、山気分をかき立ててくれる。私たちのすぐ前を老人3人が熊鈴を鳴らしながら歩いていく。なんだか牧歌的な楽しい雰囲気だ、が、楽しい雰囲気は一気に地の底へ。と言うのは大袈裟だろうか、最初の小さな橋にはロープが渡され、『登山道崩壊のため通行禁止』の看板がかけられている。老人3人は、「人間の足で行けないところなんてないよね。きっと行けるよ」と、こちらを伺うように見る。
でも、私たちはやめた。岩登りの技術もない、足に故障を抱えている身としては万一人様にご迷惑をかけることになるのだけは避けたい。早々に引き返し「さて、どこへ行こうか」。
今日の副題を「幻の坊寺山」としようか、などと悔し紛れの戯言を言いながらあちこち迷った挙句に焼額山に行こうと決まった。
久しぶりに晴れた秋の一日、平日だというのに車も人もたくさんいる(翌日の新聞に志賀蓮池の紅葉の記事が載っていた)。道路脇を歩いている人たちはみんな同じスタイル、望遠付きの大きなカメラを持っているのがおかしい。
私たちは蓮池から奥志賀方面に向かう県道に入る。こっちの道に入った途端、ぐっと交通量が減る。大沼への入り口を越えるとさらに車は減る。国道292号線の道路脇にはたくさん歩いていたカメラマンたちの姿も全くない。
焼額山は静かだった。登山口に停まっている車は我が家の愛車の他には1台だけだ。歩き始めると聞こえるのは鳥の声だけ、見えるのは秋色の風景の中にハラハラと散る落ち葉だけ。しばらく登るとブナが現れる。ダケカンバも混じっているが、一面の黄金色だ。「すごいね〜」「一番いいときだねぇ」と感嘆の声をあげながら登る。
一汗かくとゲレンデに出る。一回ゲレンデを横切って再び森の中に入るが、すぐ稜線のゲレンデに飛び出す。青空の下、振り返れば東館山のゲレンデ、タンネの森が目の下に見える。「あそこを滑ったよね」「上の方に寺子屋山のゲレンデも見えるよ」「あそこは小さいスキー場だけど、標高が高くて気持ちいいよね」などと、話しながらゲレンデを登る。この季節になると、冬の準備が始まっている。ゲレンデの草はきれいに刈り込まれているので見晴らしも良く歩きやすい。
ゲレンデに出てしまえばあとはゆっくり足を運ぶだけ。
「あれ、もうゲレンデ?早くないかな」と夫。
「今日は早いと思うよ。お花が咲いていないからね」
「えっ、そんなに違う?」
「だって、花を見つけると座って、ピントを合わせて、何度も撮って・・・」
「立ったり、座ったり・・・」
「そうそう」。
漫才じゃないけれど、思わず笑ってしまう。でも、これは本当のこと。秋深い山の中では、紅葉を見上げるけれど、立って座って、マクロのピント合わせに苦労することはない。思わずため息をつくほど豊かな紅葉だけれど、足を進めてさらに先へ、もっときれいなところへと進んでいく。
秋深くなると花の姿はぐんと減ってしまうが、わずかだけれど見つけられる。草紅葉の中に、透き通るような赤い実も輝いている。木の葉が少なくなってくると、小鳥の姿も見つけられる、季節ごとの楽しみがある。私たちは、そのひとつ一つに目に留めながら山頂への道を辿る。
登るにつれ、雲が広がって来た。後ろに見えていた横手山の山頂にも雲がかぶさっている。山頂近くまで上がると、針葉樹が増えてくる。
山頂の稚児池は草紅葉の湿原の中で空を写していた。男性が一人池巡りをして降っていった。後には静かな湿原。木道に作られた広い休憩地に腰を下ろし、ちょっと早いけれどおにぎりタイムだ。太陽が隠れると風が冷たいが、お尻の下の板は暖かくて気持ちが良い。
湿原は一面の茶色、でもよく見ると綺麗な緑のヒメシャクナゲの葉がツンツンと立っている。もう蕾を抱いたような姿は冬篭りの後の花の準備なのだろうか。白くドライフラワーのようになったイワショウブの穂もたくさん立っている。
誰もいない。近くのスキー場(焼額山ゲレンデの山頂駅が近い)で準備をしているのか、時々微かな人の気配が伝わってくるが、ここまで来る人はいない。
のんびり過ごす。思い出したように顔を見せる太陽の光が暖かい。おにぎりも食べ、おやつも食べ、ふわふわとした時間を過ごして満足、そろそろ帰ろうか。
湿原で記念撮影をして、降ることにする。
草を刈り取られたゲレンデは、モクモクしていて足に優しい。何も考えずに足を前に出せばいいから、楽だねぇと夫。いつもは「ゲレンデ歩きはつまらない」などと言っているのに、現金だ。でもその気持ちはわかる。降るにつれまた青空が広がって来て、周囲を見渡せば錦模様が輝くような秋真っ盛り。山道を歩くときには常に足元に注意を向けて一歩一歩進むのだが、こんな日は顔を上げて周りを見ながらのんびり行きたいではないか。
本来は森の中に入る登山道を一つやり過ごし、ゲレンデをそのまま降りてみた。さすがに一面草薮だったあとは少し歩きにくかったけれど、見事な紅葉に大感激。
最後の登山道も赤や黄色の踊る彩の下、私たちも踊るような気分であっという間に登山口に着いた。点在するカラマツはまだ色が薄かったからこれから染まるのだろうけれど、「カラマツが黄色になる頃には、他の木の葉はみんな落ちちゃうだろうね」。
帰りの車中からも志賀高原の彩りを堪能し、さらに欲張りな私は途中の駐車場に停めてもらってミニ散策をした。朝見つけた一沼の紅葉を近くで見たかったから。夫は車の中で待つと言うので、一人で30分ほど歩いて来た。琵琶池に向かうサンシャイントレイルの途中からは、夫が待っている駐車場を見上げることができる。木の枝の隙間からだけれどね。
風が出て来たので湖面は揺れ、日差しも移ろっているので、朝チラリと見た時よりも霞んでいたが、一沼の濃い赤はまた違う彩りの美しさだ。この辺りは人が多い、焼額山の静寂が嘘のようだ。私は撮った写真を夫に見せてあげようと、急ぎ足で夫が待つ車に向かった。