三浦半島といえば忘れてはいけない山がある。半島の中央に位置する大楠山(おおぐすやま)。標高は242メートル、決して高くはないが、愛されてきた山だ。
何度も登った山だが、あまりに身近すぎて、記録もとっていないことが多かった。NRC(三浦半島自然保護の会)という、シバさんこと柴田敏隆先生(1929-2014コンサベーショニスト)が主宰されていた会でナチュラリスト・ジュニア・リーダーとして色々な活動をしていた息子は、シバさんと一緒にも何度も歩いていたようだが、私の手元に残る記録はわずかだ。毎月の観察会で参加者が安全に過ごせるように下見にも行ったし、独自に観察のための山行もした。
山頂の小さな小屋(2020年現在は展望台の中に売店があるようだ)の主とは登る度に話をしていたが、そこの高齢のおじさんがポックリ亡くなってしまったときには、シバさんが「ポックリと苦しまずにいけるのは羨ましいとみんなが言うけれど、僕は悪いことをいっぱいしているから身の回りを少し片付ける時間が欲しいなぁ」と笑わせていらっしゃった。亡くなられるときにどう思われたのか、あの世とやらでお会いできたら聞いてみようか。
私のノートには、小屋で押した登山記念のスタンプが残っている。
それはともかく、大楠山の登山コースはいくつかあるが、相模湾に面した芦名口からは山頂直下まで車が登れる道が開けているので、晴れた気持ち良い休日には家族連れもたくさんいたようだ。
娘が2歳の頃に登った時の写真が残っている。一段一段手を使って登っては、手についた土を払っていた様子が可愛らしくて写真を撮ったのだった。
私と夫は車は使わず、いくつかのコースから歩いて登った。どのコースも緑豊かな深い森の中の道だ。衣笠から葉山に至る道から阿部倉温泉を抜けて登ると、途中にゴルフコースがあり、その脇を通って行ったこともある。ゴルフコースという、日本の自然としてはとっても不自然な姿のすぐ脇の森の中にはタヌキのトイレ(ため糞)があったりして、生き物のたくましさを感じたものだ。
頑張って登り切ると、山頂からの眺望は素晴らしい。伊豆半島からカーブを描く相模湾の曲線、江ノ島が飛び出しているのが見える。そしてその上に富士が近い。三浦半島の沖に目を転じれば千葉の房総半島までくっきりと見えることもある。
春は花畑になり、人々で賑わう山頂だが、わずかに稜線を歩くと、鳥の声が響く人の少ない山の空気を味わえる。夫はスケッチブックを持って行って、そこに座り込んでスケッチをしていたが、時々覗き込んでくる鶯と『ホーホケキョ(鶯)』「ホーホケキョ(口笛)」と、会話をしているかのようなやりとりをすることもあった。首を傾げている鶯の姿が見えるかのようなやりとりが、10分以上続くこともあった。
桜や菜の花は有名だけれど、冬の寒いときに咲くヤブツバキの赤もひそやかな美しさだ。また、賑やかな花の下で目立たない白い花をたくさんつけて、艶やかな葉の間に揺れているシャガもそのオシャレさに脱帽だ。
山に登ると言えば、登山口からエッサエッサと歩いてピークに達することと考えるのは当たり前。私たちもたくさんの山をエッサエッサと登った。でも、もちろん山歩きの楽しみはそれだけじゃない。山の裾野の広がりの中で、登山道は一本の線、途中に広い高原があったり、こっそり湿原が隠れていたりする。そして斜面があればそこに流れる川もある。大楠山の前田橋コース登山道が橋を渡って越す川は前田川と言い、私たちはその川を遡ったことがある。中腹の正行院(しょうぎょういん)から川に入り、倒木を跨いだり、潜ったりして歩いた。正行院は古いお寺で、境内にたくさんのお地蔵様が祀られていた。川の途中には堰堤が作られていて、その下に立ってみると、魚の遡上を妨げていることが実感できる。
山を歩きながら体も頭も様々なことを知る。いつも目の前に現れることだけに夢中になって時を過ごす。感性が磨かれるのはこんなときなのだろうか。
もう一つ付け加えておこう。山道を歩いて疲れた体を休めることができる、ふもとのカフェが嬉しかった。衣笠城址に降りた時は、小さなカフェに立ち寄り、甘いものをいただいて贅沢な時間を過ごした。そのカフェには私の友人(版画家)の作品が数点飾ってあって、私はいつもホッと一息つきながら友人の絵を眺めたものだ。
日常からちょっと離れて山を歩いた後、穏やかに流れるひと時。そんなひと時を夫と一緒に楽しめることが、小さな、小さな大切な温もりだということを味わっていた。