夏休み、息子一家がやってきた。世界中COVID-19の脅威にさらされている中での、家族の移動には迷いがあった。しかし、自粛自粛の日々で疲れている子どもたちに楽しみをあげようと、直前に決めて、自家用車でやってきた。
長い道中だから、もちろんSAで休憩をとるし、食事も必要だ。しかしレストランなどの飲食店には入らず、できるだけ人がいない時を見計らってテイクアウトの食品を買って車の中で食べたという。
マスク、手洗い、うがいはもちろん、毎朝検温をして過ごす。いつも長野に来ると楽しみにしていた観光地のアスレチックも、レストランも今回はなし。それでも子どもたちは近所の公園、動物園、早朝の散歩、夜の星観察と元気に体を動かして夏休みを満喫していたと思う。バレエをやっている孫は、レッスンも中止になりがちだったので、夫が作ったバーでゆっくりレッスンもした。
そんな長野滞在の間に、一回くらいは遠出をして楽しもうと、息子が考えたのは日本海ツアー。広い海岸で深呼吸をし、ヒスイ海岸で緑の石を探してみるのもいいだろう。屋外での遊びはコロナ感染からも遠い。
前日まで雲が多く涼しさのある長野だったが、その日は朝から晴れた。息子の車に乗って、上信越道を北に向かって走る。妙高山麓を越えて日本海へ。上信越自動車道から北陸自動車道に入って糸魚川で降りる。海は濃い青、波がなくただ平らに広がっている。息子一家は太平洋に近いところに住んでいるから、海が珍しいというわけではないが、日本海を見ると、どこか違うと感じるらしい。「もっと荒れているイメージだよな」と息子が呟く。「それは冬に見ることが多いからだよ」。白波が立つ深い群青色の海を見ながら、上越から柏崎まで日本海沿岸を走るのはいつも暮れだったから(※)。 (※正月の訪問中、長岡に住む私の母に会いに行くことが多い)
しばらく走って親不知海岸の道の駅に入る。波打ち際にはいくつものテントが張ってあり、浮き輪につかまって遊ぶ子供達の姿が見える。テントは一列に間を空けて並び、人の姿も少なめだ。始めは足だけつかっていた小学生の孫が全身水の中に入るまではあっという間だった。高校生になったばかりの女子はさすがに洋服で波に浸かることはせず、波と一緒にポーズを決めた。
しばらく波と戯れて、今度は親不知を観に行こう。親不知・子不知といえば、古くからの交通の難所、断崖絶壁が海に落ちていて、その波打ち際を危険と隣り合わせで歩いた街道だ。ここは北アルプスと日本海が出会うところ、栂海新道の登山口にもあたる。海抜0メートルから北アルプスの北端にある白馬岳まで長い山並みが続いている。「私、ここを歩いていくから、向こうまで迎えにきて」と言えば、「行くのはいいよ。いつ着くのかな」と息子。冗談を言いながら駐車場に車を停めて、みんなで親不知コミュニティロードを歩く。
コミュニティーロードには人がいない。歩いているのは我が家の家族だけ。天下の険と呼ばれた波打ち際の街道を見下ろすこのコミュニティーロードは、かつて国道として開かれたところだというが、右を見れば足元も削られているような一直線に切れ落ちている崖。左には、こちらも垂直な岩場が、見上げていると首が痛くなるほど高くそびえている怖い道だ。
私たちがここまで走ってきた国道8号が開かれるまで、この道が北陸道だった。今は四代目の北陸自動車道もできて、この難所を越えるのはあっという間になった。ほとんどトンネルだけれど。
ゆっくり坂道を登っていくと、展望台があり、70m下の日本海の波打ち際が見下ろせる。かつての親不知・子不知の模型があり、その波打ち際の道の長さにびっくりする。これではオリンピックの短距離走者だって、波の来ぬ間に走り抜けるなどということは到底不可能だ。
展望台の脇には、ウェストン像(ウォルター・ウェストン1861-1940日本近代登山の父と呼ばれる)が座っていて、歩いて行く孫たちを眺めている。
ウェストンに見送られながら道を行く。見下ろせばそのまま吸い込まれるような断崖の途中に何か動いている。カモシカ!見ているだけでも怖い崖の真ん中で、カモシカは悠々と草を喰んでいる。北アルプスの端っこだから、カモシカもいるのかなと話しながら、しばらく眺めていた。
コミュニティーロードの下に降りると、鉄道の旧親不知トンネルが残っている。母娘二人はロードでゆっくりお散歩しながら待っているというので、男たちと私は山道を降りた。親不知ずい道として保存されているトンネルの中は真っ暗。機関車D51号も走ったというが、思ったより狭い。「このトンネルを蒸気機関車が走った時は、みんな慌てて窓を閉めただろうね」「ススで真っ黒になっちゃうからね」という大人の会話を興味深そうに小学生の孫が聞いている。
トンネルから急な階段を降りると波打ち際だ。狭い浜は両側が絶壁で遮られている。息子は波打ち際の岩場を一つ越えて行ってみたが、とても歩けないと引き返してきた。大きな波が来て足をさらわれそうになる。
「こんなところ本当に歩いたのかな」「気をつけて、親不知・子不知になっちゃうよ」。
どこまでも続く絶壁に人の生きてきた流れを感じ、ひととき心解き放たれた夏の1日になった。