梅雨前線が居座って、雨が続いている。起きて窓の外を見ると、長野を取り囲む山々は白いガスの中に隠れている。今日も雨か・・・。晴耕雨読、雨の日は家の中でできることをすれば良いと思うのだが、こう続くと気持ちがくさる。
そういえば、雨の中を山に登ったことがあったなぁ、まだ若かった頃だ。それまであまり山歩きをしなかった夫が、初めてしっかり山を目指したのが白神岳。山登りと言うより、深いブナの森を見たかったのが、出かけた理由だった。白神山地は、1993年12月に日本で初めての世界遺産(自然遺産)登録となったが、まだ『知る人ぞ知る』という感じだった。『人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布』するということが、世界遺産登録の理由だった。私はそれ以前にも、自然保護の先達から素晴らしい白神ブナ林の写真をたくさん見せてもらっていた。いつか行ってみたいところだった。
7月末の土日と休みを合わせて5日間の東北旅行を計画した。出発は朝6時、家(神奈川)から東京都内を抜けて東北自動車道に入る。さすがに疲れて、安達太良SAで夫は少し寝た。今では高速道路でつながっているが、当時は北上からの秋田自動車道は北上西ICまで1区間のみで、しばらく一般道を走った。湯田という地名と、そこに立っていた巨大なワラでできた人型が記憶に残っている。美しい川沿いの道をくねくね走ってようやく再び秋田自動車道に入り、最初の宿泊ホテルに到着した。夕方6時前に着いたから、12時間弱ということになる。
翌日は、白神ラインまで足を伸ばす。広大な白神山地の端っこを少し走ってみることにしたのだ。
秋田を出発、能代を過ぎ、日本海沿いに北上し、五能線の陸奥黒崎駅(当時)からわずかに山に入ったところにある白神岳登山口を確認。戻って日本海を見ながらさらに海沿いを走っていく。並行して走る五能線の電車を見つけると喜んでいたのは誰だろう。
そのままさらに海沿いを走って、白神岳を水源とする川が日本海に注ぐところで山に進路を取る。白神ラインと呼ばれる林道だ。川沿いの道をしばらく走ったけれど、散策できそうな道が見つけられず、車を止めて水辺に降りてみた。石がゴロゴロしている川でしばらく遊び、十二湖方面へ引き返すことにした。人の気配がほとんどない河原は気持ちが良いけれど、ちょっぴり人の匂いのするところが恋しくなってきた。単にお腹が空いただけかもしれないが・・・。
白神山地は奥深く、許可を得ないと入れないところが広いけれど、十二湖周辺はコースが整備されていて、深いブナ林の空気を味わえるところ。私たちは、まず腹ごしらえをする。夫はしっかり川魚の御膳、私は蕎麦を食べた。
お腹をいっぱいにして、森の散策に出かける。いくつもの池があるが、中でも青池は有名らしい。その名付け用のない紺碧の水面は神秘的。輝く湖面、その下には太い木が沈んでいる。深い青なのにこの透明さがなんだか幻想的な雰囲気を盛り上げている。
ブナの原生林の中をしばらく歩き、沸壺(わきつぼ)の池、越口の池などを見て戻る。そういえば鶏頭場(けとば)池なんていう面白い名前の池もあった。現在はいくつかの設備が増え、セラピーロードというコースが整備されているらしいが、私たちが歩いた頃は山道ばかりで、奥まで歩く人も少なかった。
人に会わない森の散策をゆっくり楽しんでいたら、3時間近く経っていた。そろそろ今日の宿、能代へ戻ろう。日本海へ向かって走る道の奥に白い崖が続いていた。『日本キャニオン』だって。遅くなるので寄り道はせず、車窓から眺めて通り過ぎた。
3日目、いよいよ白神岳に登る。能代から1時間ほどで登山口に車を停める。8時45分、歩き始める。ゆっくり出発だ。オオミズアオが迎えてくれて、その薄青い色がちょっと妖精みたいに見える。動かないので、夫が手を出したら、指の先に止まってしまった。そっと放して、歩き出す。
海岸線から車で200メートルは登ったのだろうか、駐車場のある登山口から、山頂までは900メートルの標高差がある。私たちは最低限の食べ物、水、そして雨具を持って出発。
今思うとなかなかの冒険だった、いや無謀と言うべきか。ジーパンにスニーカー、全く普段のままで、山に入ったのだから・・・。ちょっと大きな声では言えないよね。
森の木々は密集している。おまけに重そうな雲が空を覆っていて、なんだか暗い。この辺りは雨が多いのか、それとも水を蓄えるブナの森とはこういうものか、山道は湿っている。しばらく歩くうちにポツポツと音がしてきた。どうやら雲が持ち堪えられなくなったらしい。雨か・・・。激しい雨だったら引き返すところだが、雨音はすれども、雨粒は落ちてこない。深い森の木の葉が傘になってくれているようだ。
道は濡れているけれど、落ち葉の層が厚いからか、ぐちゃぐちゃとぬかるんではいない。私たちは、雨の音を聞きながら、雨具も着ないでどんどん登って行った。二股コース分岐を、蟶(まて)山に向かって登る。雨で濡れないけれど、しめった空気の中、汗びっしょりになる。汗っかきの夫は途中でシャツを着替えたが、またすぐ汗びっしょりになり、お風呂に入っているみたいと笑った。
尾根に出たころにはありがたいことに雨は上がったが、まるで雲で包まれたように周囲は真っ白。残念ながら展望は効かない。けれど、お花畑が雲の裾模様になっていて、その色を楽しみながら進んだ。時折向かう稜線が見える瞬間もあり、どうやら、この後雨に悩まされることはなさそうだ。
山頂へ着いたらご飯を食べようと思っていたが、お風呂のような湿気に苦戦し、時間がかかったので、お花畑の尾根でおにぎりを食べることにした。
「なにも見えないね」「ブナの自然林が広がっているはずなのに」。
あー疲れたと言いながらも、お腹が膨れると少し元気が戻る。相変わらず白いヴェールに包まれながらひと頑張りすると、前方に三角屋根が見えてきた。ログハウス風の山頂避難小屋。
ついに山頂だ1232m(※)。濃いヴェールの中で白神大権現を祭っているという祠にお参りをし、三角点にタッチ。記念撮影をしてから腰を下ろして、深い山の空気を吸い込んだ。
日本海も見えるというが、今日は白いヴェールの向こうに隠れている。しばらく待ったが、霧が晴れる気配はない。 (※標高は1996年時点、2020年現在では1235m)
それでも緩やかに動くヴェールが少し薄くなった。午後2時、少し明るくなったところでもう一度記念撮影をして、展望は諦めて帰ろう。雨が止んだことを喜ばなくちゃね。
5時間かかって登ってきた道を、3時間半で飛ばして降りた。下りになった途端、夫の足には羽が生えたかのように、速い速い。足元のギンリョウソウが笑っているようだ。登るときに出会ったカエルには「ふう〜、カエルさん帰るの、いいね」などと話しかけながら一息ついていたのに、帰りは「カエルよ〜」などと歩きながらの一言。
再び深いブナ林に降りたときには、二人とも、ズボンも靴もドロドロに汚れていた。車に戻ったのは夕方5時半、日本海を見ながら走り、秋田のホテルにたどり着いたのは8時だったが、行ってきたぞ!という満足感があった。
翌日は山形までドライブ。鳥海山の登山口を見ておこうと鉾立まで登った。前夜、ビールで乾杯してぐっすり眠ったとはいえ、元気だったなぁ。いつか二人で登ろう(※)と話しながら、鳥海山の登山口を少し散策して山形のホテルへ向かった。そしてその夜は、旅の最後の祝杯をして、翌日長い帰路についた。
(※2005年7月に実現、1985年8月にMieko単独登山)