近県の里山を訪ねて、「どこから来たのですか」「長野です」という会話をすることがあるが、大概は驚かれる。「えーっ長野から(わざわざ)?」。そう、長野といえば、日本でも有数の山岳地を持つ県として有名だから。
確かに聳えるアルプスの峰々を見たくて里山に登ることも多い。今日もアルプスの展望を期待して朝6時半に家を出る。白馬に向かう道を走り、途中から大町街道に入る。さらに木崎湖へ向かって右折、しばらく走ると木崎湖にぶつかる。湖岸を回ってキャンプ場に向かうが、キャンプ場の駐車場は閉鎖中だったので、林道をしばらく登ったところに空間を見つけて車を停めた。この林道は、小熊山を縦走した先にある黒沢高原まで続いているそうで、地元の人の山菜採りなどに活用されているという。
私たちはしばらく林道を歩いていく。小熊山は急傾斜で木崎湖に落ち込んでいて、その中腹を行く林道の崖側は崩れそうな岩肌が見えているところが多い。崖の上に張り出したように大木が育ち、その根が傘のようになっている。ムラサキヤシオの木が多く、明るいピンク色が森に映える。オオバクロモジの木も多い。黄色い小さな花を咲かせている。枝を少しもらって香りを楽しむ。森のアロマだ。
ふと前方を見ると道路に大きな猿が座っている。しばらくこっちを見ていたが、谷の木に移り、枝に座ってなんだか私たちを観察しているみたいだ。
「ひゅっ」「ひょぉ」などという声が聞こえ、何匹かの猿たちが動いているが、枝に座った大猿はじっとしている。「行ってくるね」と声をかけて、私たちは猿の群れの中を通り過ぎた。小熊山は熊の出没が多いと言うけれど、熊にはあまり会いたくない。でも猿のお出迎えならいいね。
のんびり歩いて約1時間、それまで木崎湖側の斜面を走っていた林道が、山の間を通ってアルプス側に向かうと、ようやく登山道入口についた。ここからは急勾配でぐんぐん登る。木崎湖の綺麗なブルーが右下に見える。イワカガミの群落が日の光を照り返しているが、まだ蕾が多い。
青空が綺麗だけれど、雲も多い。時々太陽を隠す雲が、ポツリと水を落としたりする。雨と呼ぶにはあまりに気まぐれな水滴に、夫は「山の天気は長野の天気と同じだね」と笑う。他の土地では珍しいかもしれない「狐の嫁入り」と言われるお天気雨も、長野では当たり前。
山頂を目の前にして、気持ち良い落ち葉の上で少し休むことにした。お腹が空いたと言う夫の希望に答えて。でもまだ9時半、あまりに時間が早いので、おにぎりは後の楽しみとしてお煎餅と甘いパンを少し食べる。
一服して登り始めたら、山頂はすぐそこだった。林の中なのであまり見晴らしはない。木々の間から木崎湖は見下ろせるが、楽しみにしていた北アルプスは見えない。青空が広がってきたことだし、この先の展望広場に行ってみようか。黒沢高原へ続く縦走路は、木崎湖からの登りとは全く異なる広々とした林の中の緩やかな道。カラマツの若々しい緑の森を抜けると、シラカバが多い林になる。
チゴユリやユキザサ、ツクバネソウはまだ蕾。ミツバオウレンの白い花が可憐だ。どんどん下っていくと林道に出た。木々の梢の向こうに爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳が大きい。真っ青な山肌に雪渓が縞模様になっている。圧倒される大きさだ。
林道と山道を交互に少し歩くと、目の前が一気に開けた。まあるく草地が広がり、そのまま木崎湖に向かって滑り落ちている。青い湖につながって大町の市街地が見え、その向こうには鷹狩山。木崎湖岸を走る大糸線がジオラマのように見える。
誰もいない草原で早お昼を食べることにする。草地でのんびりおにぎりを頬張っていたら、トンビがやってきてクルリと回ってまた空高くのぼっていった。とても大きくてびっくりする。
帰りは林道をいくことにした。目の前に大きくアルプスの大景観が開ける。長い林道歩きはできれば敬遠したいものだが、この道のように角度が変わるごとにアルプスの景色も変わる楽しみがあると、なかなか良い。1時間ほど歩いて登山口に着いた。
崖の崩れそうな斜面に小さな白い花が咲いている。朝には気がつかなかった初めて見る花に感激。家に帰って調べたら、桜のように先端が凹んだ花びらはワダソウ。
猿に会ったあたりまで降りると、「ヒョー」と声がする。「お猿さん、まだいるのかな」と話しながら行くと、山菜採りのお供らしい中学生くらいの男の子が二人で木の枝を持って遊んでいた。お猿さんならぬ、子どもさん。
遊ぶ子どもたちの脇を通り抜ければ、もう車はすぐそこ。帰りは白馬方面を回って、走り慣れた道を帰った。