紅葉の便りが聞こえてくる。高い山から降りてくる錦の模様が我が裏山に届くのはもう少し後になるか。それでも木々の葉が柔らかく明度を上げ、それぞれの色に染まった実を揺らすようになってくると、山は秋の気配真っ只中になる。
里山には里山の良さ、薪を拾って燃料に、木の葉を拾って肥やしに、そしてキノコや木の実を食料にして人々に愛されてきた。今では生活の足しにしようと山に入る人はいない。せいぜい春の山菜、秋のキノコを楽しむくらいか。
私たちも山の近くに住むようになって山菜やキノコの恵みに舌鼓を打つようになった。山人に近くなっただろうか。とは言うものの、風が冷たくなった山道に咲き残る花を数えながら歩くのも後少しと思うとほんの少し感傷的になる。こんな時だけ団子より花か。
花が少なくなってくると木の実、草の実に目が引かれる。神奈川に住む版画家の友人は、花も好きだが実の方により心惹かれると言って、彼女のモチーフに木や草の実を多く使っていた。最近ようやく彼女の言う実の魅力に開眼したような気がする。
13日、粘菌を探しながらゆっくり歩いて前方後円墳近くまで行ったところでイケさんとその友人に出会った。「どこを歩いていたの?」と呆れられるくらいゆっくりペースだ。それはそうだ、倒木を見つけるたびに後ろに周り、朽木を見れば上から下まで眺め回し、カメラを向け・・・ちっとも進まないのだから。
夫が粘菌を一つ見つけてカメラを構えると、私はその近くの花や実を眺め、さらに新しい粘菌を見つけたりする。
イケさんとその友人は袋にたくさんキノコを持っている。私たちもアミタケを数本と栗を数個持っているけれど、可愛い袋だ。イケさんは自分の袋から大きなウラベニホテイシメジを何本か出してくれた。ありがたくいただく。今日もおいしいキノコ料理が食べられる。
降っていくイケさんたちと別れ、山頂を目指す。目の前の飯縄山には雲がかぶさっている。黒姫山、妙高山が少し霞んでいるが、山肌が赤く色づいている様子が見える。お煎餅をかじりながらしばらく山を眺めてから先へ進む。ウメバチソウとセンブリの花を見に行こう。純白のウメバチソウがあちらこちらに光を放って綺麗だ。
一週間ほど経って再び地附山を訪ねる。まずマンネンタケの成長を見る。そして公園からの道へ出ると、斜面に真っ赤なキノコ、あれはベニテングタケじゃないか。毒キノコなのに食べられた痕がある。どんな生き物が食べるのだろう。かなり大きく開いて倒れたものもあるが、まだまん丸い形が可愛らしい幼菌もある。数メートルの斜面に広がっているが、他の場所にはない。それぞれの菌が繁殖しやすい環境があるのだろう。白樺林が好きなキノコだと聞いているが、楓の林も好きなのかな。
大きなベニテングタケの発見にホクホクして歩いていると、小さな木片にしがみつくようにポツポツが見える。これもキノコのようだ。
大小様々なキノコ、今年は食べられるもの、食べられないもの、いろいろなキノコに巡り合えた。まぁ、食べられるもののほとんどはイケさんからいただいたんだけれど。
長野市街地にも初霜がおり、めっきり冷え込むようになったから花の姿は減った。咲いている花も、かろうじて数輪咲き残っているとういうふうだ。冬が来る前に、最後のひと頑張りというところか。実を残してくれて、また来年会えるかな。
時々森の中に目を凝らしてみるけれど、食べられそうなキノコは見つからない。まぁいいか、今日はベニテングタケに会えたから。
そんなことを話しながら車に向かって降りてくると、公園の向こうから降りてくる人が手を振っている。あれ、イケさんだ。まるで測ったようにここでバッタリだ。
「今日も山へ上がっていたのか」「ベニテングを見てきたよ」話が弾む。イケさんが持っている袋にはクギタケとキシメジがいっぱい、今日もお裾分けをいただく。
キシメジは塩漬けにして、クギタケは煮物でいただく。美味しいキノコで、乾杯。