朝5時半、目が覚めたら階下で何か音がする。早起きの夫が何かしているなぁと思いながら、昨夜眠れなかったのでもう少し寝ようと横になったまま目をつむる。しかし、一度目が覚めるとなかなか眠れない、6時過ぎ、ついに起きることにした。
なんだかいい匂いがする、「おにぎり作ったよ」と夫。ちょっと前の天気予報による、今日の小雨予報はどうやら変わったらしい。「今日は晴れるけれど、明日は雨だって」と言う夫は、今日は山日和と準備を始めたらしい。慌てて私も準備をする。家を出たのは7時5分。
目的地はこのところ話題になっていた霊仙寺(れいせんじ)山、私たちが裏山と呼ぶ地附(じづき)山から目の前に見える山だ。
登山口まで近いのがいいよと、夫はご機嫌。一昨日ハードな運動をし、昨日(慣れない靴で)裏山に登ってきた私はちょっぴり足に不安。なぜなら、霊仙寺山は標高1875m、標高差900メートルは登らなければならない山。友人に『山歩き中毒』とからかわれるほどの山好きだから、毎日でも山に入っていたいはずなのに、不安を感じるというのは寄る年波だろうか。しかし、いつかアルプス縦走をすることを思えば、連日歩くくらい・・・よし、大丈夫。
家から30分ほどで駐車場に到着。浅川ループ橋を走り、飯綱高原スキー場(来年度から閉場が決まっている)に突き当たると右折、飯縄(いいづな)山の裾野を回って信濃町に入るとすぐ『霊仙寺跡』の標識が見える。そこを左折してしばらく登ると、車数台が置ける駐車場に到着。周囲にはツリフネソウやサラシナショウマが今年最後の花を咲かせている。広々と湿原に取り囲まれているようだ。
駐車場の奥には、杉並木と、一面に苔むした緑の道が続いている。靴を履き替えながら周囲を眺めていると、ツルニンジン(ジイソブとも言う)がまだ咲いていた。「あ〜、見たかった花発見」と小踊りする私に夫は呆れ顔。まぁ、いつものことです。
足元をととのえて(履き慣れた古い靴で)、ゆっくり歩き始める。道の両側は湿地のようで、水の流れる音もする。サラシナショウマの群れ咲く森の写真を撮って進むと、前を歩いていた夫が「ギョッ」というような声を出して突然立ち止まる。ほぼ同時に私も見つけた。「わぁ〜っ、こんなところで会えるなんて!」大喜びの私に「これは何?」と夫の声「これも植物なの?」。葉緑素を持たない腐生植物ツチアケビ、これはその実。図鑑で見つけて、いつか見てみたいと思っていた。「ずいぶん大きいんだ」「グロテスク!」などと言いながら撮影。歩き始めてすぐの発見に嬉しくなり、足取りも軽くなる。
さらに進むと、今度は杉並木に緑濃い苔の道がずっと続いている。所々に遺跡の説明板が立ててある。三の鳥居礎石が苔に埋もれるように並び、その奥の石段下には手洗いの水鉢がある。添えられている柄杓がなんだか真新しく素朴で嬉しいが、この水鉢と石段は上杉氏によって寄進されたと伝えられているそうだ。
歴史ある史跡のようだが、聞いたことがなかった。私たちがこれから登ろうとしている霊仙寺山から飯縄山を越え、戸隠山中社へかけぬけ道と古い道標にあるそうで、修験者が修行したところなのだ。残念ながら明治4年、廃仏毀釈によって霊仙寺は廃寺となったそうだ。現在建物は全く残っていないけれど、苔むす岩の広がりは厳かな佇まいを感じさせ、いかにも修行の場という雰囲気だ。
しばらく見惚れていたが、巨石の探検は後回し。今日はここから山頂まで歩かなければいけない。
奥の院社殿跡から、ひと登りすると気持ち良い森の中の平坦な散歩道になった。スギなどの針葉樹はすぐ終わり、足元にはいくつか形の違うドングリや、クリが転がる落葉樹の森が続く。笹が茂っているが、登山道はきれいに刈ってある。歩いているといろいろなキノコが目に入る。彩り豊かだが、思ったより少ない。夏の異常な暑さの影響だろうか。1週間ばかり雨が降ったけれど、とても追いつかないようだ。
歩き始めてすぐ『山頂まで1時間50分』の標識があったが、もう1時間以上歩いている。急勾配になってくると左に分かれ道がある。いいづなリゾートスキー場のゲレンデに出る道だ。今年の冬、子供たちと滑ったが、雪がとても少なくてびっくりした。
さて、ずいぶん登ったぞ、と思う頃に『山頂まで1時間』の標識を発見。
「えっ、ここからまだ1時間?」「さっきの標識からもう1時間以上歩いているよね」。なんだかガックリ。少し寡黙になった私たち。 ところが、道はさらに急になり、「どっこいしょ」と言いながら足を運ぶようだ。「ここは天狗の道なのか、段差が大きいね」「へぇ〜、天狗は足が長いんだ」などと冗談を言いながら、ひたすら登る。
目の前を歩いていた夫が急に立ち止まった。「何?」「蛇だ」。近寄ってみると、ヤマカガシらしい。赤い縞がくっきり見える胴は3cmくらいありそうな大きな蛇。慌ててカメラを構えたが、スルスルっと草の向こうに消えて行った。さらにもう少し上で、少し小さい蛇に出会う。そういえば、ヤマアカガエルみたいなカエルにも会った。蛇の餌も豊富ということかな。
道は険しいけれど、ブナの森を過ぎ、カンバの大きな幹を眺めて登るうちに、いつの間にか樹高が低くなり、高山らしい花が増えてきた。リンドウがたくさん咲いている。先端が開いているからエゾリンドウかな。この季節を代表するような花。ところが登山道の縁にしがみつくようにポツリポツリととても小さいスミレが咲いている。一気に冷えて、再び気温が上がったから狂い咲きなのだろうか。スミレの種類は多くて特定できないのだが、1cmに満たない可憐な小さな紫の花を掲げている。
花を楽しみながら最後の頑張り。かぶさっていた雲が切れて、青空がぐんと近くなった。
着いた!山頂は意外と狭く、周囲の木が伸びているので、展望も隠れている。見上げれば青空だけれど、周囲の山の辺りには雲が湧いているせいか、妙高の山頂がわずかに見えて、またふわりと隠れて行った。お隣の飯縄山も見えたり隠れたり、雲の流れは速い。山頂に祀ってある石碑に挨拶して、一つ下の草紅葉の中でおにぎりを食べることにした。咲き残っているウメバチソウやマツムシソウがわずかに風に揺れている。シラタマノキの実がいびつな形でぶら下がっているのが面白い。そしてその影に、小さな、小さなミヤマコゴメグサがまだ咲いていた。
のんびり足を休めながらおにぎりやリンゴをほおばり、トンボや蝶に声をかけて、山頂の空気を味わうのは比べるもののない幸せな時間。今日は1日誰にも合わない登山かと、そろそろ腰をあげようとしていたら、下の方からラジオの音が聞こえてきた。灌木の影から現れたのはランニングのお兄さん、水も持たずに走ってきた。私たちが山頂の肩に座っていたのでちょっと躊躇した様子。「すぐそこが山頂ですよ」と教えてあげると、走って行った。そして、私たちが歩き始めるとすぐ今度は走り降りてきた。飯縄山との縦走路に消えて行ったから、向こうの山頂に荷物をデポしてきたのだろう。さすがに水もなく下からはきつい。
きついと言えば、きついのはいつも降り。私たちはそれから何度も滑りながら急な道を降った。秋の山は空気が澄んで見晴らしが良いというのはよく言われるが、油断ならないのは積もった落ち葉と、その下に隠れている木の実の堆積。ドングリが吹き溜まったところで滑ってはドキッとさせられた。
登る時には雲に隠れていた霊仙寺湖が、わずかに黄葉し始めた梢の向こうに見えている。そしてさらに遠くに、いつもこの山を眺めている我が家の裏山が見える。左に小さな三角の髻山を置き、長い尾根の三登山、そして右に地附山、大峰山と続く里山のうねりだ。
懐かしい山が近くなってくれば里は近い。朝寄らなかった苔の道を歩いてみる。かつての霊仙寺が広かったことがよくわかる遺跡が残っている。500年記念碑と書いてあったので、最近のものかと思ったら、そこにある石水鉢には応永11年(1404)の刻銘があり、そこから500年後の明治35年のことだそう。記念碑が建てられてから、さらに100年以上過ぎている。奥には前宮社殿、講堂などの跡があり、鎌倉時代の建物の礎石が残っている。どこも広く一面に緑に苔むしていて修験者たちが行き来していた時代を忍ばせられる。
思いがけぬ遺跡を見つけたり、湿地の草花を堪能したり、厳しい山歩きだったけれど、心に残る霊仙寺山登山だった。