95 寄り添う


周りの誰かが困っている時、隣に上手に寄り添うことがいかに難しいか・・・後悔と懺悔と、そして勇気を奮い立たせる日々だったような気がします。仕事の時は待ったなしですから、蛮勇かもしれない勇気を奮い立たせて毎日を過ごしていましたが、友人が打ちのめされているときに隣で為すすべもなく見ているしかない時は、地団駄踏むような悔しさでした。


高等部を3年間担任した女の子が、卒業した後、強迫観念のようなものの虜になって閉じこもってしまっているとの連絡がありました。毎日何かに怯えているように落ち着かない日々で、母親もなす術がなくおろおろしている様子が伝わってきます。もちろん、そのときは他の学校で勤務していた私にも、良い方策が思い浮かぶはずもないのです。ドクターに相談はしているとのことですが、なかなか良い兆しは見えなく、長い時間が必要だろうという話です。


その時、ふと思い出しました。ずっと前に友人が苦しんでいたときに、私も苦し紛れに毎日お手紙を書いたことを。

息子の同級生の弟ケン君が難病にかかり、入院した時のことです。友人とは息子が小学校に入学したときに同じクラスの母親として出会い、以後一緒にいろいろなことをしました。歳が離れて生まれた、末っ子ケン君はとても元気でした。ところがあるとき突然、血液をうまく作れないというような難病を発症してしまいました。明るかった友人も病院に閉じこもる毎日の中で、苦しそうでした。もちろん、自分に置き換えてみれば、その苦しさのあまりにも大きく重いことは容易にわかります。それでも私が仕事の帰りに病院に寄ると、明るい表情で自分を奮い立たせている様子がよくわかります。治療のためにムーンフェースになったケン君の顔がおかしいねと、笑い顔さえ見せながら。

私はケン君が描いた絵を見たり、一緒に紙工作を作ったりしてそこにいる間、せめて涙を見せないようにするのが精一杯でした。「おばちゃんがくると、ママが元気になるからまた来ていいよ」と、見舞客を嫌がったケン君が言ったというのはずっと後で聞きました。


なすすべもない無力感、私は多分自分の苦しさを紛らわすために思いついたのだと思います。それから毎日手紙を書きました。手紙と言っても葉書の大きさの紙に絵日記のようなものを書いただけなのです。毎日私が見たり聞いたりしたことを、病室というカゴの中の友人に飛ばしました。画家である友人にとってみれば稚拙な漫画のような絵、なんの意味もない日常・・・、そこにあるのは、ただ「ここにいるよ」というメッセージのみ。

photo・下手な絵でも・・・
下手な絵でも・・・

その後ケン君は奇跡的に元気になり、友人は笑顔を取り戻しました。


私は、卒業生に毎日葉書を書きました。家に閉じこもっている彼女に、「私はここにいるよ」というメッセージだけを届けるために。もし伝わるものなら「あなたのことを大切に思っているよ」という思いも込めて。忙しくて毎日とは言えない、間が開く日もありましたが、続けました。

どのくらいの月日が過ぎたでしょうか・・・。卒業後に通い始めた施設に再び通えるようになったとのお知らせと、お母様からの「もう大丈夫です。葉書はもういいです」という嬉しいお知らせが来ました。

しばらくは不安な状態の時も続いたようですが、今は、年に一回の「元気に通っています」という便りを、とてもとても楽しみにしているのです。




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