77 生涯現役


教育学という学問があります。大学には教育学部という部門があり、日本中の学校には教育職の資格を持った教員が働いているのですから、それは当然のことでしょう。


人は産まれてから、身体的にも、精神的にも長い時間をかけて成長していきます。動物は早いものなら数時間で立って動けるようになりますが、人は歩けるようになるまで一年もかかります。大人と同じ体になるためには10年以上かかります。

よく言う『這えば立て、立てば歩めの親心』というのは、子どもの成長を見守り、待つ心を言ったものでしょう。


身体と運動は、見えるので分かりやすいかもしれませんが、同時に感覚、概念形成、そして思考などという能の働きも成長していきます。一つずつ言葉を覚えていく幼児の真剣な瞳はつい惹きつけられるほど奥深く輝いて見えます。人の成長はゆっくりであるために、その一瞬一瞬がかけがえのない素晴らしいものに思えるのでしょう。


その、人の学ぶ過程を明確にし、教育活動に活かそうとする学問は、教育に携わる者にとって必修です。私も退職するまで研修会に参加したりして考え続けてきました。実はまだ分からないことだらけなのです。

その頃私の尊敬していた先生の講義を何度も聴きました。その先生が、一つずつ分かったことをできるだけ簡潔な表現で示したいと言っていました。簡潔で美しい表現というのは数式なのだそうです。たとえば『これはこれ』と確定できることは一つの発見ですから、『A=BC』と表現できる、もちろん実際はこんなに簡単な数式ではないのですが、それをめざしているのだと言っていました。


能力不足でついていくことができず、苦しい勉強と実践の間で悩み続けた日々でした。


教育のあるべき姿とは?応えられる人はいるのでしょうか。例えば、文字を覚えるとき人はどのように頭脳の中で組み立てを行うのか、それは解明できるのでしょう。コンピューターが地球上のあらゆる文字を記憶して使いこなしているのですから・・・。あるいは数式を解くこと、これも最も確実で早い方法はどれかということまで解き明かせるのでしょう。また、歴史などの膨大な資料を記憶してそこから時の流れを見つけ出すような学問も、初期の記憶分野はコンピューターの最も得意とするところですから明快な方法が見つかるかもしれません。


けれど、私の中になぜかいつも疑問が残ります。教育は、全ての子どもたちが主人公なのです。他の人にうまくいった方法を当てはめるだけでは成り立たないことがあるのです。コンピューターの苦手とする人の頭脳の働き、感情も含めて、人が人として向かい合うことでしか成り立たない営みが教育なのではないかと思えるのです。


私はそう思うのですが、最近はモニター画面を眺めて学習を進める方法というのがずいぶん進んできたそうですから、もしかするとこれからは変わっていくのかもしれません。

ただ、芸術の分野で同じ先生が教えても全ての生徒が芸術家になる訳ではないことを思えば、『教育』という道の遠く、遠く、生涯かけて歩き続けるしかないことを感じるのです。





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