7 研究授業


その頃、個別授業か集団授業かというあり方が論争を巻き起こしていました。もちろん言葉だけの意味ではないですし、どちらかだけが正しいということもない筈なのですが、学校という大きな組織の中での授業の進め方として、結構大きな問題と思われていたのです。

私が転勤して行った年に同じ学校に初任者が一人採用されました。彼女とは小学部高学年の1学年違いの隣の教室でした。当時集団授業の組み立てで進めていた学校だったので、高学年の3学年の児童を学習経験による3つのグループに分けて、授業を組み立てていました。そのグループ授業の時間には彼女と一緒に子ども達の前に立ちました。前と言うより隣と言った方が事実に即しているでしょう。


グループで授業を進めると、どうしても課題が合わずその場では居るだけになってしまう子どもも出てきます。私が当時隣にいた児童もそうでした。その児童は、授業が始まって自分にとって面白くないと感じると寝てしまいました。そして私は、個別が良いとか声高に主張はしませんでしたが、眠ってしまいそうな児童を連れて彼女が生き生きし出す係わりへと誘い込むことに成功しました。

初任の彼女はそんな私たちの姿を横目で見ながらも、指導教師や、そのクラスの方針やらに縛られているので、苦しい展開をしていました。でも彼女が隣にいた児童は眠ってしまうことはなかったので、隣で体に意識を向けてもらったりする係わりをしながら、仲間との活動に添っていました。


初任者には当時は年に2回の研究授業が義務づけられていました。1回目は私たちのグループで行いました。2回目は学年で行う予定です。当時の小学部では午後の授業を学年全体で行うことも、学習経験の力に合わせて分かれて行うこともありましたから、初任者は、自分の担当する児童と二人で展開する授業をしたいと提案したのです。

ところが、当時のその学校は個別授業なんてとんでもないという風潮でしたから、その計画は却下されてしまいました。

初任者はなくなく、クラス全体で行う授業案を作りました。体を使って動く中で体の意識を育てるというもので、彼女がいつもその児童と二人で係わってきた内容を拡大したのです。


研究授業の当日、私は隣の教室から彼女の授業の様子を覗いてみました。

すると、びっくりしたことに7人いるクラスの6人の児童が欠席。なんと登校したのは彼女が担当していた男子児童1人だけなのです。


みんなで作った遊具にその児童と初任者が向かい合い、静かに授業が進んで行きます。そしてそれを取り巻く、クラスの先生達。一人の児童に、何人もの教員。こんなことはめったに起こることではありません。

初任者の研究授業ですから、県の教育委員会からも指導主事などが来ています。管理職や研究部員などが取り囲む中で淡々と係わりを勧める彼女の胸の内は分かりませんが、本来このように進めたかった授業ですから、落ちついて児童と向き合っているようでした。


私は集団か個別かなどということでは解決できない、子どもと向かい合う姿を美しいと思いました。





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