68 傷ついて


夫と二人で駅近くのデパートの地下に買物に行きました。時々パンや総菜などを買ってくるところです。私がトレーとトングを持ってパン屋さんに入ろうとすると、後ろの方で「ウ〜、ウ〜」というような声が聞こえました。

ちょっとだけ恥ずかしいのですが、私は「う〜」とか「ワァー」とか、言葉にならない声を聞くと、つい嬉しくなってしまいます。夫とは「お友だちがいるね」などと言うのですが、長年つきあった生徒たちのことを懐かしく思い出すのです。と言うか、体が一体感に包まれるように反応してしまうようです。


この時も、なんだか懐かしい気持ちになってしまったところへ、後ろから男性の二人連れが近づいてきました。二人とも若くスマートでした。私の横を通って先へ歩いて行きましたが、そのとき私は見ました。「ウ〜」と言っている男性を横から支えるようにして歩いている人の腕に無数の引っ掻き傷、爪痕があるのを。

写真・傷ついて

二人は私が後ろ姿を見ているなどと思いもせず(たぶん)、店の奥の方に歩いて行きました。


私たちの先輩教員が担任していた生徒で、やはり係わる人にたくさんの傷を付けてしまう男子がいました。先輩は軍手をしたり、傷だらけになりながらその生徒との時間を過ごしたそうです。生徒自身が見えない傷を負っていることを先輩は知っていました。

目に見える傷はもちろん痛いですし、気持ちも塞ぎます。けれど、実は傷をつけてしまう生徒の心の傷の方が深く、避けがたく生徒自身を追い込んでいることを、私たちは知っています。

もし、生徒が「おまえなんかきらいだよ」とか、「ぼくはつよいからひっかくぞ」とか思って行動するのなら、残念ですが、「しかたないです」「こうさんです」と言えます。

でもまるで悲鳴を上げるように相手を傷つけてしまい、その傷を見てまた苦しむという繰り返しの中では、私たちは何をすればいいのでしょう。


町で会った二人連れはすごいと思いました。デパートの地下食品街はいつもたいてい賑やかです。人が多く、しかももちろん人々は自由気ままに動いています。全く予測のつかない動きをしています。そういう場所では生徒たちの多くが落ち着きを無くしました。混乱し、パニックになる生徒もいました。そばにいる人に救いを求めるようにしがみついたり、噛み付いたり、大声を出したりしてもおかしくないのです。それほど不安になってしまうようでした。

でもこの日の二人の人たちは、支えあってはいましたが、ゆっくり人混みの中を歩いて行ったのです。しかも、二人とも半袖のシャツを着ていました。だから、支える人の腕の細かい傷跡が見えていたのです。手袋も、長袖も、つまり保護するものを身につけず、寄り添っていました。

私は二人の後ろ姿を、敬意と親しみを込めて、けれど干渉しない思いで見送り、パン屋さんに入りました。買物をして通路に待っていた夫のところに行くと、彼は二人連れが歩いてくるのを前から見ていたので、その似ている顔から「親子みたいだね」と、言っていました。

おそらく自閉症と言われる男性にとって、落ちつかない場所、けれど生活をするためには必要な場所へ、おそれること無く出かけてきた二人のことを、思い出すだけで元気が出るような気がするのです。




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