67 うそ


買物に行って、荷物を持って帰ろうとすると、アーケード街の左右に数人の人が立っているのが見えました。向かい合って立ち、道路を歩く人を挟み撃ちにする態勢です。

瞬間的に嫌だな〜と思ってしまいました。その人たちは、手に手に小冊子や新聞らしき物を持って、通る人に渡そうとしています。なにかの勧誘です。宗教的活動というのでしょうか。にこやかな笑顔ですが、断ると硬い表情が瞬間的に見えます。

私はあまり信仰心が厚いとは言えませんが、信仰する宗教を持つ友人たちとはその心のあり方について話すことがあります。そんな時は彼らの深い思考を感じます。自分の信じるところを行うために一人頑張っている姿に尊敬の念を覚えます。

寄り集まって何かの行為を、まして他者に何かを強制するような行為をすることが信仰のあかしであるとは思えません。とは言っても人それぞれですから、他の人が行うのは自由でしょうし、良いとか悪いとかを言うつもりは無いのですが、好き嫌いは個人の感情なので言わせてもらうなら、私はキライです。


もちろん私は自分には悪いところは無いなどと思っていません。地獄のえんま様には絶対バレてしまう悪いこともチョビッと、チョビッと(いっぱい?)しました。嘘もいっぱいつきました・・・。

生徒の心が軽くなるために、疲れ果てたお母さんたちの笑顔を見るために、どれだけうそを塗り固めたか・・・。


『うそ』と言うと思い出す光景があります。  一つは我が家のお風呂、娘が幼稚園児の頃でした。「あのね、うそもホンベン(※)って言うんだよ」娘が得意そうに話してくれました。「どんなことなの」と聞くと「えーっとね、お母さんが病気になって入院してるでしょ。お父さんがご飯作るんだけど、すごくまずいの。でも、お見舞いに行ったら、お母さんにはお父さんのご飯美味しいよって言うの。だって、お母さんが心配するでしょ。そういう時のうそは言ってもいいんだよ。うそもホンベンって言うの」娘の得意そうな笑顔が今も目に浮かびます。(※ホンベン=方便)


そして、もうひとつ、3人の高等部男子生徒と『言葉』について学習していた時のことです。「うそをついても分かるよ」「どうして」「だって顔を見れば分かるよ」「本当に分かるかなぁ」・・・などと会話が弾みました。

そのとき私は「タックンなんか、きらい」と、言いました。リギと、ツークンは、「あーぁ、嫌われちゃったよ」「おまえ、いっつも騒いでいるからだ」などと、囃し立てます。

私は胸がちくりとしました。

タックンも一瞬ドキッとしたようでしたが、すぐ「うそだよ。僕には分かる」と言いました。「どうしてさ」と言うリギに、「だって、先生笑ってるもん」と。

そこでもう一度、今度は悲しい表情をして「タックンなんか、きらい」と言ってみました。みんながまた囃します。

今度は、タックンは黙って私の顔を見ました。お芝居は得意です。嫌いなような表情をしましたが、タックンは大きな声で言いました。

「うそだよ」

みんなが「先生の顔を見てみなよ。本当だよ」と言いましたが、タックンはきっぱり言いました。

「先生がそんなことを言っても僕には分かるよ。先生が普段やっていることを見ていれば分かるんだ」。




  • サブメニュー3のイメージ画像 次のページ 14-68「傷ついて」へ

  • サブメニュー3のイメージ画像 Gallery3特別支援教育へ戻る

  • サブメニューホームのイメージ画像 ホームへ戻る