66 劣等生


退職、引っ越し、慌ただしい生活が2年半も経つとようやく少し落ちついてきます。

私は自分の長年の夢だったバレエを習いにいく決心をしました。球技ではありません、クラシックバレエ、舞踊です。還暦を過ぎてから始める人はほとんどいないようです。子どもの頃に習っていたという人がまれにはいるかもしれないのですが。

私は小学生の頃バレエを習いたいと言って母を困らせたようです。バレエ教室も無く、実現しませんでした。今でも母は言います。『あの時は本当に困った』と。普段ものをねだるということが無い子どもだった私が、唯一主張したこと・・・だったらしいのです。


歩いて30分ほどの教室に通うことにしました。生まれて初めてバレエシューズを履いて立ちます。アンドゥオール、股関節から外に向けて立つ足の位置から教わるのです。バレエを観ることは好きだし、こっそりレッスンの雑誌なども見ていたので、何となく知っていることはたくさんあります。けれど、とにかく実際に動くことは初めて。


チンプンカンプンの自分の体に、言い訳し、言い聞かせ、必死に動きについていこうとします。教室は大人バレエのクラスですから、ダンサーのように洗練された動きではないにしても、長年積み重ねてきた仲間の動きは全く違います。私の目には、みんな素晴らしいと映りました。

しかも何回目かのレッスンの時に、ジャンプして飛んだ瞬間『バキッ』という音がして、私は空中でバランスを崩し、床に落ちました。右膝の靭帯を損傷、しばらく休むことは仕方ないのですが、それから右膝が完全に伸びなくなってしまいました。


何をやっても周りの誰よりもヘタクソ、一生懸命やっても身に付かない。私は完全に劣等生でした。


写真・バレエシューズ

これまでの人生で、ここまで完璧な劣等生だったことは無かったかもしれません。なんでもできた訳ではもちろん無いのですが、『苦手なこと』は『やらなくてもいいこと』だったのでしょう。

途中ケガでしばらく休み、家族の都合でまたしばらく休み・・・それでも2年と数ヶ月経過しました。劣等生ながらも諦めず頑張っています。


そして今、私が係わってきた沢山の生徒達の苦しみが、とても身近に感じられるのです。彼らが味わってきた劣等感を、いつもわかっている気持ちでした。寄り添っているつもりでした。けれど、今思います。その気持ちの浅かったことを。


私がバレエで味わっている劣等感は、私が自分から求めて飛び込んだ世界でのことなのです。でも私の大切な生徒達は、周りの人と同じことをしなさいと言われて、嫌でも逃げ出せない世界で苦しんでいたはずでした。

出身校の通信表を持ってきて見せてくれた生徒がいました。5段階評価の通信表でした。その通信表を開いた時の衝撃は今でも強烈です。全教科が1評価でした。周りの人の気持ちを感じ取ることができ、手助けできる生徒でしたが、どこにもその評価はありません。今のクラスで満ち足りているからいいんだよ、と見せてくれたのですが・・・。


私はずっと、たぶん劣等生のまま自分の好きな世界に挑戦し続けます。心の奥にたくさんの生徒の想いを感じながら・・・。




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