56 教師という仕事


どんな仕事でも、それを生業として暮らしていくということは大変なことです。『学校』というところは、毎日子ども達が通ってきます。子どもと教員という人間同士の対峙の中に仕事があるのですから、なかなか休むことは出来ません。

私たちは『子どもが主役』、つまり教育の主体は生徒ということを合い言葉のようにして毎日を過ごしていました。けれど、言葉は立派ですが、どういうことかを日々の係わりの中で実践することはとても難しいとも意識していました。


そんな折り法律が変わって、それまで老人介護に携わっていたヘルパー職の仕事の対象が障害児にも広がることになりました。そして、友人が主催していた有料ヘルパー派遣業のヘルパーさんたちが動揺していると聞きました。辞めてしまう人もいるそうです。困った友人から話をして欲しいと依頼がありました。私が係わっている子どもたちとの話をして、そこに流れる『教育を受ける人が主役』と『介護を受ける人が主役』の精神が同じだということに気づいてもらいたいと言うのです。

最も信頼できる友人の頼みに応えて、私は出かけました。子どもたちとの活動の中から分かりやすそうなテーマを選び、思わず吹き出してしまうような自分の失敗談(たくさんありますから・・・)も合わせ、教材もレジュメも用意して行きました。


考えてみれば、私もあなたも、誰も彼もみんなどこかが違います。どこか不自由さを持って係わり合って社会の中で生きています。その不自由さの度合いが強いのが生徒たち。そして老人たち。自分も歳を重ねて、今ではいっそう強くうなずけますが、それは置いておいて・・・。

迷いもなく、私は与えられた2時間ほど大好きな生徒たちのことを自慢するように話してしまいました。集まったヘルパーさんたちも熱心に聞いていました。眠ってしまうような人は一人もいませんでした。

そして感情移入して涙ぐんでしまう人さえいるのです。小さな、あるいは体の不自由な人たちが一生懸命学ぶ姿に、自分の仕事先の老人が一生懸命話そうとして自由に動かない口をやっとの思いで動かしている姿などを重ねてしまうのかもしれません。


話が終わり、いくつかの質問への応えも終わって、友人と片付けをし始めた時です。一人の女性ヘルパーさんが私の顔をじーっと見ました。そしてこう言いました。

『先生、先生が担任になった子どもたちは本当に幸せですね。でも、全部の子どもたちが先生のクラスにはなれないんですよね』

写真・チラシ

この時の衝撃を今も忘れません。私は自分が話した内容を思い出してみましたが、他の教員と自分を比較して自慢話をした訳ではありません。自分の目の前の子どもとのやりとりを、どう考え、どういう方法で実践したかを話しただけでした。しかし・・・。


この言葉がその後の私の一つの警句になりました。言葉にしなくてもどこかに傲慢があったかも知れない。『子どもが主役』とは、『全ての教育を受ける子どもが主役』ということ!


とは言うものの、その後もやっぱりちっぽけな自分がやれることは、目の前にいる子どもと精一杯係わることだけなのです。ただ、どんな視点でそのことを噛み締めるかということがまた一つ『仕事』に加わりました。




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