40 抱きしめる 1


もう何十年も前のことですが、よく覚えています。

仕事の帰り、私は鎌倉駅の近くに用があり、帰宅途中に鎌倉駅を通る友人の車に乗せてもらいました。友人と話しながら鎌倉八幡宮を通り、桜並木で有名な若宮大路と駅前の通りがぶつかるところで降ろしてもらいました。

「ありがとう」と友人に声をかけ、助手席のドアをばたんと閉じるのと、『ガシャン』という大きな音がしたのが同時でした。音は背後から聞こえました。私は一瞬飛び上がり、自分がドアを閉めたために何かを倒してしまったのだろうかと思いました。

友人にはその音は聞こえなかったようで車は去っていきました。


恐る恐る後ろを振り返ってみると、7、8メートル離れた広い歩道の真ん中に自転車が倒れていました。この距離では自分の仕業ではないだろうと安心したのは一瞬、その様子に思わず駆け寄ってしまいました。

倒れた自転車のすぐ脇に小さな男の子がうずくまっています。そのすぐ隣に同じくらいの年格好の男の子が自転車から降りて立っています。そして、うずくまっている男の子を中心に2、3メートルくらいの距離を置いて円を描いた大人たちが、口々に「大丈夫?」「痛い?」などと声をかけています。

私は駆け寄ると男の子の後ろから小さな体をそっと抱きしめました。もちろん自分も道路に座り込みました。右足の膝を抱えて下を向いている男の子は小刻みに震えています。

男の子の右膝、彼の手の脇にそっと自分の手を添えて、「ここをぶつけたの。ちょっと痛いよね」と話しかけながら手のひらを当てるようにしました。筋肉がプルプル震えているのが分かります。ショックで一時プルプルすることがあります。

「ゆっくり息を吐いてごらん」「それからゆっくり吸って」と話しているうちに、筋肉のプルプルは無くなっていきました。固まっていた背中も息が入っていったのか、柔らかくなってきました。

その頃には、取り囲んでいた大人たちは誰もいなくなっていました。隣に立っているお友達らしい男の子だけが心配そうに覗き込んでいます。

男の子は顔をあげました。私は膝に当てていた手をそのままにして、「膝を伸ばせる?」と聞くと、男の子はうなずいて少しずつ伸ばしていきます。「痛いなら無理しなくていいよ」と言うと首を振ります。それまで男の子の後ろから背中全体を覆うように抱きしめていた私は、彼から離れ、足の方にしゃがみ込んで、手を当てながら様子を見ていました。

それから、足首、腿も、手を当てながらゆっくり動かせるか試してみました。幸い動かす時に震えや反射のような動きはありませんでしたから、大きなケガは無いようです。本人もゆっくり動かしてみて、痛みも無く動かせることに安心したようです。歩道の出っ張りにでも引っかかったのでしょうか、転んだことに対するショックが一番大きかったようでした。


ようやく私は男の子と顔を見合わせました。小学校中学年くらいのなかなかハンサムな男の子でした。「何年生?」と聞くと「三年生」と、初めて声を出しました。そして、ニコッと笑うと、立ち上がりました。隣のお友達もホッとしたように笑顔になりました。

もう大丈夫という彼に、「ぶつけたところはアザになるかも知れないし、後から痛くなることもあるから、家に帰ったら必ずお母さんに話すこと」「お母さんによく見てもらって、痛かったら、ちゃんと病院に行くこと」と約束。お友達にも「お家に帰るまでお願いね」と話すと、彼は大きくうなずきました。

二人の男の子は、元気に自転車をこいで海の方に去っていきました。





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