35 ケアと教育


ケアと教育はどのように違うのでしょうか。どちらも精神は同じだと思います。主体はケアを受ける人であり、教育を受ける人ですから。

我が家の近くの善光寺さんの境内を頻繁に歩くことは何回か書いたのですが、善光寺さんでは車椅子の方もたくさん見かけます。正面階段ではなく東側の階段脇にスロープがあります。かなり急な木造のスロープですが、本堂にお参りするにはこのスロープを登らなければなりません。

写真・善光寺さんのスロープ

ある日そこでこんな姿を見ました。何人かの車椅子に乗った老人と、ゆっくり杖をついた老人たちが順番にスロープを登ろうとしています。ちょうど私が目を向けた時、一台の車椅子の人が登り始めるところでした。登り始めの小さな段差でつかえ、押している人は力を入れて乗り越えようとしました。

こういうわずかな段差につかえた時、片方の車輪が乗り上げてちょっと左右のどちらかに振れるときがあります。私も長い間車椅子を押す生活をしてきたので、そんな経験をたくさんしました。私はそんな時は事前に声をかけるようにしていました。「段差があるから、ちょっとガタンするけど大丈夫よ、動くと危ないからじっとしててね」なんて・・・。

見ていると、押している女性は一所懸命押そうとしているのですが、その時、車椅子に乗っている婦人が両手で手すりをしっかり握っているのです。進む方向がちょっとぶれたので、とっさに婦人はつかまったのです。それがブレーキになって動かなかったのです。

押していた人も気がついて、「つかまらなくていいのよ」と声をかけて、それからゆっくり登り始めました。

そういえば、以前善光寺さんの石畳を車椅子の2台押しをしている人がいて、お手伝いしたことがありました。まずしゃがんで乗っている人に「あそこで待っている人たちのところまで、私が押させてもらいます」と話しかけました。でも、不思議そうな顔で見返されただけでした。「前に皆さんが見えるから大丈夫ですよね」などと話しかけながら進むうちに、うんうんとうなずくようになりました。そして、目的地に着いて「ではこれで失礼します」とあいさつした時には、ちゃんと視線を合わせてあいさつを返してくれました。


このちょっとした出来事が私に一つのことを思い出させてくれました。老人施設で何度か実習をした時のことでした。車椅子を押して広い廊下の端をゆっくり歩き始めたら、職員さんに「車椅子を押す時は真ん中を通ってください」と注意されました。端を歩いていて、利用者の方が急に手足を伸ばすと、骨折などの事故に繋がるからだそうです。


学校で生徒と車椅子で移動する時は、出来る事なら手を伸ばして手すりにつかまって欲しい、足を伸ばして壁を蹴ってでも自分で動いて欲しいと思いながら、車椅子の傍らに立ちます。もちろんどこへ向かおうとしているのか事前に伝え、誰が押すのかも伝えます。授業のなかでは「どこへ行きたいか」を聞きながら動くことの方が多いかもしれません。

日本語を話せず、腕も自由に動かせない児童生徒がたくさんいるので、視線やわずかな身振りをはじめ、写真や絵のカードを使ってなんとか乗っている人の思いを読み取ろうとするのです。

安全に素早く目的地へ、ということが大切でないとは思いませんが、乗る人も押す人も人間、人が係わりながら歩くところには必ず『学び』があるような気がしてなりません。





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