34 安心できる場所


生徒たちにとって安心できる場所はどこでしょうか。もちろん一つは家庭です。そして毎日通ってくる学校は、一日のかなり多くの時間を過ごす場所ですから、できれば安心できる場所であって欲しいものです。


高等部肢体不自由教育課程に入学してきたマサ君と、3年間担任として過ごしました。マサ君は、小学生の高学年で脳腫瘍を発症。脳幹にある腫瘍は手術でも全部はとりきれなかったそうですが、なんとか元気になって退院しました。ただ、記憶を司る部分の快復が遅れ、意欲を維持することも困難な状態だったため、中学時代は訪問教育を受け、ほとんど外出しなかったそうです。高等部入学当時、通学するのは週に1〜2回ではないかとのことでした。当時は高等部の訪問教育という制度はありませんでした。

たとえ週1回でも、学校に通って家庭と病院以外の空気に触れて欲しい、同じ年頃の生徒と仲間になって欲しい、そんなご両親の思いを感じました。入学後の保護者面談で「な〜んもする気がしないと言うのが口癖になっています。せめて5分でも何かを続けてできるようになってくれたらいいのですが・・・」と、お母さんは笑いながら話してくれました。

さて、マサ君との出会いは私にとって衝撃でした。彼は今上った階段を、数歩歩くと忘れます。違う階段から降りて、また降りたことを忘れ、自分は2階にいると思います。教室を出て廊下の向かいにあるトイレに入り、トイレを出ると教室がどこか忘れます。教科によって教室を移動しますが、「美術室に行こう」と言って教室を出て、出た瞬間にどこへ行くかを忘れます。

記憶だけではなく視力の部分にもダメージがあり、いつも映像が2重に見えてしまうそうです。片方に曇りガラスを入れたメガネをかけて生活していました。他にもなかなか難しい症状を抱えていて、とても制約の多い生活をしていたのです。

細かいことはここでは省略しますが、マサ君が色々なことを忘れても、思い出せるように、困らないようにと、手がかりをたくさん考えました。マサ君はすぐ、教室は安心できる場所と思ったようです。休んだのはごく最初だけで、毎日通学してきました。


マサ君のもう一つの困難に、『食事』がありました。給食を配膳するまでは、元気に手伝っているのですが、席に座って「いただきます」を言ったとたんに「食べたくな〜い」が始まります。治療が続く間、嘔吐に悩まされたのだそうです。

それでも入学して1ヶ月過ぎる頃には、みんなの周りを回ったり席にうつぶせたりしながらも、少しは食べ物を口に入れるようになりました。ところが2学期も後半になった頃、マサ君は食事が始まると「食べたくな〜い」と言いながら、教室の戸口に行って廊下を覗いてみたり、黒板のところに行って予定表を眺めたりします。席に着こうとしないでウロウロ歩いています。

急にどうしたのだろうかと、私はマサ君の様子を見て考えました。どうやら、用で出かけているノリ先生を捜しているようです。スクールバス担当をしているノリ先生は、その頃忙しく、給食時には「すみません、ちょっと行ってきます」と、私に声をかけて出かけます。マサ君にとってはいつもいるはずの先生がいない教室は落ちつかないみたいです。

私はノリ先生に頼みました。用で教室を出て行く時は、私にではなく、生徒に「行ってきます」と伝えてからにしてください。それは翌日から実行され、なんとマサ君は「ノリ先生は用があるんですね」と言って、落ちついて座っているのでした。

たった一言ていねいに伝えただけで、マサ君にとって教室は再び安心して座っていられる場所になったのです。





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