3 ようごがっこう


電話が鳴ったのは、あてにしていた高校の臨時任用教員の勤務がなくなり、ちょっとがっかりしていたところでした。

ヘルニアの手術をする予定だった教員が、手術が怖くて取り止めたのだそうです。教科書もいただいて、すっかりやる気満々だったので、え〜っと、悪口を言いそうな気分でした。でも、大きな手術、半年も休職をするのは確かに怖いことです。


電話の向こうでは穏やかな男性の声が養護学校の勤務のお誘いをしています。情けないことに、当時の私には養護学校というもののイメージがありませんでした。


下の子どもが幼稚園に行くようになり、仕事をしたいと考えていたときに、市の教育委員会に登録しておくと臨時の教員が必要なときに仕事を紹介してもらえると教えてくれた方がいて、登録したのです。幸い中学、高校の教員免許を持っていました。

登録後すぐ話をいただいて中学校で短い勤務を終えたところに、今度は市立高校の話があり、喜んでいたのです。


「大変申し訳ありませんが、全く分からない世界ですし、資格もありませんのでお断りいたします」 と、私は何度も繰り返すことになりました。

ただ最後に、その優しい声の教頭先生が、
「ぜひ一度来校して、子ども達に会ってみてください」と明るくさそってくれたのです。


初めての養護学校は家から歩いても十分くらいの、坂を上ったところにありました。高等部の生徒達が体育館で体力作りという運動をしているということでした。廊下を歩いて行くと体育館に突き当たります。


教頭先生に案内されて体育館に入ると、そこにはとっても賑やかな空気が踊っていました。小学校とも中学校とも、そして高校とも違う、なんだか自由でバラエティに富んだ空間の真ん中で、生徒達が何となく並び、体操をしています。
でも、私たちを見つけると、手を振る生徒、ちょこちょこ駆け寄ってきて挨拶をする生徒・・・恥ずかしそうに下をむく生徒もいます。


教頭先生は何か説明をしてくださっていた筈ですが、私は覚えていません。ただただ生徒達の存在感が大きくて、圧倒されていました。
しばらくすると、みんなで走り出しました。端の方で見ている私たちに近づくとそれぞれアッピールをして行きます。
一緒に走ろうと手を引く生徒もいます。
私の全身の細胞が心地よいとさざめいていました。


それから数週間後、私は初めて養護学校の先生と呼ばれるようになりました。 この学校で臨時任用勤務をし、採用試験を受け、定年まで「養護学校の教員」として働く、最初の一歩だったのです。





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