29 ノートを持って〜二人の雪さん〜


もう一人の雪さんとは、彼女が高等部を過ごした3年間、いつも私は彼女の担任ではありませんでした。

「ニーマンピック」、この言葉を知っている人は少ないと思います。このオリンピックの親戚のような言葉が雪さんの診断名なのです。脂質の代謝異常。現在の医学では根治不可能と言われます。二十歳の誕生日を迎えた1月、通っていた施設で盛大に成人を祝ってもらい、それからたった数日後に雪さんは亡くなりました。


雪さんが入学したとき、私は2年生の担任でした。エレベーターを上がってくると廊下の最初の部屋が私たちのクラスです。一番奥が雪さんたち1年生のクラスでした。雪さんは登校の時や、給食の時などに通りかかると私たちのクラスを覗き、ベーっとあかんべをして笑っていきました。

歩行のバランスが悪く、体が少し揺れるように歩く雪さんを男性の教員が支えながら行くことも多く、姫とナイトだと、私のクラスの生徒たちはからかっていました。色白でかわいい顔立ちの雪さんは姫と呼ばれるのにぴったりの少女でした。

動きのバランスが悪い雪さんは、小脳に少し障がいがあるらしいと言われていました。でも、どんどん状態が悪くなっていき、車椅子から立ち上がるのも難しくなった頃、遠くの大学病院で検査してもらって病名が分かったのです。


雪さんの病気の進行は驚くほど速く、体の動きが不自由になるのと平行してどんどん記憶を失っていきました。お茶目でクラスの女子たちとのおしゃべりも楽しんでいたのに、言葉もどんどん少なくなっていきました。それでも雪さんは自分の持っている力を全て総動員して進む病気と闘っているように見えました。私には雪さんは戦士に見えました。


写真・自分でやる

私は雪さんの担任ではありませんでしたが、週に1回授業を担当しました。そしてその授業のノートを作りました。表紙には雪さんと私と、もう一人のメンバーの写真を貼り、授業のある曜日、始まる時間を書いて、その日には家から持って来てもらうようにしました。そして、その日にやったことを、雪さんと一緒に記録することにしました。

忘れてしまってもいい、見れば分かるよ、というメッセージです。ご両親も理解してくださり、毎週協力してもらいました。家に帰れば、その時間何をしたかが見て分かります。雪さんとご両親の会話が伝聞でなく、できるといいと思ったのです。そこにいることを安心できる空間、時間、それが雪さんにとって大切でした。


写真・ノート腕が揺れて文字がうまく書けない

二人で作ってきたノートを学習発表会のとき、展示しました。雪さんの頑張りを知って欲しかったからです。ノートを見ると、頑張りだけでなく、悲しい病気の進行の様子が手に取るように分かりました。


これは余談ですが、学習発表会を見に来てくれたアメリカのS.T.(Speech Therapist 言語聴覚士)を長くやっていた私の友人が、そのノートを売って欲しいと言いました。売り物じゃないことを伝えると、とても残念がり、これはエクセレント(excellent)だ、と言うのでした。彼女は何度もノートを手に取り、ページを繰ってそっと大切そうに展示台に戻していました。

写真・学習発表会に展示



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