100 子どもたちの未来に


「いつ(When)誰が(Who)どこで(Where)何を(What)なぜ(Why)どのように(How)」というのは文章を書くときの基本内容ということです。自然科学の世界の尊敬する先達柴田敏隆先生(コンサベーショニスト1929-2014)は、特に自然観察のメモでは必ず記述しなさいとおっしゃっていました。

例えば『家の裏で燕を見た』というのでは記録としては不十分。家はどこなのか、いつの何時頃に何羽のツバメを見たのか、最低でもその項目は明確にと。

私があえてその項目に触れないように書くと言うと、苦い顔をされました。もちろん自然観察では記述しています。ただ、それも絶滅危惧種の植物などでは場所を明確にしない方が良いという悲しい現実もありますが、それは公にしないということであって、記録としては明確にしておくほうが良いのです。


教育の場で個人情報保護のために『誰が』を明確にしないというのは常識(あるいは恐れ?)のようになってきました。もちろん本人の了解を得ていれば別です。

私が柴田先生によく話していたのは、ある特定の個人がいつどんなことをしたかということよりも、その出来事の中にある大切なエッセンスを抽出して見えるようにしたいということでした。確かに具体的な事実をたくさん並べて、その厖大な資料から読み取れることが科学としては有効なのでしょう。でも、なぜか私は記述によって明確にできないものこそ拾いたい思いが消えないのです。


柴田先生を私の担当するクラスに迎えて、授業をしていただいたことがあります。高等部卒業の記念にいくつかの特別授業を組んだうちの一コマでした。

柴田先生はいくつもの自然のアイテムを持参されて、生徒たちをあっという間に虜にしてしまわれました。ジョーク混じりの楽しい語り口も、生徒の心に響いたようです。竹で作った笛、大きな葉っぱに穴を開けたお面など、みんな手に取って遊びました。

立派な言葉で自然の大切さを訴えても聞いた人の頭の中を素通りしてしまうことが多いかもしれませんが、自分の手で触れた自然の力は大きく、心に残ります。


柴田先生が主催された、自然の中での1泊2日のキャンプに、私もスタッフとして参加しました。小刀で竹を削る箸作りから始まり、食べられるものを採取したり、毒草を見分けたり、魚を開いたり、鶏を料理したり・・・。かまど作りや、火を起こすことも。懐中電灯などの灯りを持たずに、月明かりや星明かりを頼りに夜の磯を散策することも、全く動くとも見えない貝にマーキングして一晩でずいぶん動くことを発見したり、海中の発光微細生物に歓声をあげたりすることも、どんなに心躍る時間だったか、参加した子どもたちの顔の輝きに現れていました。

柴田先生はいつかまとめて、その大切さを提案したいと話していらっしゃいましたが、ついに実現しないまま亡くなられてしまいました。

子どもが自然の中で学ぶことは、教室で学ぶこととはスケールの違う体験です。柴田先生は、子どもたちが自然の中で安心して泥んこになって遊べる場を作ることの大切さをいつも話していらっしゃいました。人工的な遊具はいらないけれど、安心して着替えることができる場と、きちんと指導できるリーダーがいる施設を豊かな日本の自然の中にたくさん作って、子どもたちが走り回る姿を夢見ていらっしゃったのです。




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