17 葛山(かつらやま) 812m 頼朝山 644m(長野県)
         2016年12月4日(日曜日)

地図・長野市街を囲む北西部の山


長野に三年暮らして、いつも我が家から西に見える山に遊歩道と名のつくルートがあることを知らなかった。葛山と書いて『かつらやま』と読む。市のホームページには詳しいルート図が載っていないので、車を停められそうな笹峰から行くことにした。どうやら一番らくちんコースのようだ。我が家から戸隠への道の途中なので、慣れているということもあり、初めてなのでまずはご挨拶という感じか。

写真・善光寺北参から見た葛山、大峰山、地附山
左から葛山、大峰山、地附山
善光寺北参道にて

葛山は善光寺から北西を向くと見える。そのまま目を右に転じて行くと、頂に城の屋根がのぞく大峰山、地附山と続く山々が近い。


冬の里山は花が無く、紅葉も終わってしまうととても寂しい。とは言うものの、冬には冬の楽しみ。足が埋もれてしまうほど落ち葉が沢山積もっていて楽しい。そして木々の葉が落ちた山道からは、澄んだ空気の中、遠くまで見晴らしが良い。長野は北アルプスが近いので、真っ白に雪を抱いたアルプスの山なみが間近に見える。これは素晴らしい。


写真・葛山遊歩道の看板
葛山遊歩道の看板

家を出ると、戸隠へ行く七曲がりを登る。登り切って、バードラインとの分かれ道あたりに笹峰に行く道があるらしい。葛山の看板が出ているから分かるだろうと進むが、いつの間にかバードラインに入って、葛山は左後方に遠ざかってしまう。おかしい。Uターンしてもう一度看板を探しながら戻る。見つからない。もう一度と、バードラインへの近道に入ろうとしたら、そこにあった。来るとき、私は葛山のある左ばかりに目を凝らしていたが、道は一回右に折れ、立体交差で下をくぐってから左に向かっていた。かなり傷んでいたが、葛山の大きな看板があったので、その近くに車を止めて足の準備をする。


写真・堂々とした猫
堂々としたネコさん

さぁ立体交差のトンネルをくぐって、まずは農道を歩く。傾斜地にポツポツと建つ家の間を落ち葉が敷き積もった道がカーブしてゆく。ちょっと太めのネコが草地の中を歩いている。声をかけると止まってこちらを見る。その姿はなかなか堂々としていて「まぁ行ってらっしゃいよ」とでも言っているようだ。

ネコに見送られて、リンゴ畑を右に見るとすぐ左に葛山登山口の矢印が見つかった。道というより広い草地という風情のところを入ると登りが始まった。木の枝にはウスタビガの繭がぶら下がっている。足元は一面の落ち葉、杉の木も多く、杉穂が沢山落ちている。昔はこれを拾って焚き付けに使ったっけ。ご飯を炊く竃と、お風呂の釜と、焚き付けはいくらあっても足りなかったような気がする。今はただ積もっていくだけか・・・。

写真・ウスタビガの繭
ウスタビガの繭

ガスや電気の普及で、暮らしはとても楽になった。私が子どもの頃まだ火を焚いていたなんて、経験した自分でも信じられないような気がする。毎日竃でご飯を炊くのが子どもの私の仕事だった。お風呂も焚き付けた。いくつの頃までだったのだろう。小学生の低学年だろうか。記憶もおぼろだ。

豊かになった代償がこれからの世代への負債とならないか、豊かさに溺れないようにしたいと思っているが・・・楽な方には流れやすい。


話を落ち葉の道に戻そう。少し登ると平らに開けたところがある。葛山は城跡だから、ここも兵士が見張りをしたところだろうか。何段かの平らに開けた見晴らしの良いところを越えると、さらに広い山頂に着く。あっけなく到着だ。

途中からも木の枝越しに見えていた後立山連峰の真っ白い姿が大きく見える。白馬から唐松、五竜、鹿島槍と続く。その先は手前の山に隠れてしまうが、近いのがいい。

写真・不帰の剣
不帰の剣

写真・五竜岳
五竜岳

写真・鹿島槍ヶ岳
鹿島槍ヶ岳


葛山城主(落合備中守)は上杉謙信に属していて、葛山城は上杉方の重要な前進基地だった。水が不便な城だったので、崖から米を落として水があるように見せかけ、敵の目をくらましたと言う。2月の雪深い時期、上杉軍が出陣できない時をねらった武田軍が水を断ち、火をかけて攻め、ついに落城した。弘治3年(1557年)のできごと。400年以上昔の話だけれど・・・、今でも本丸跡に残る城主の祠の周りからは焼米が掘り出されるとか。

歴史で習った戦国時代の悲しい出来事はたくさんあるが、教科書には載っていないその時代の人々の生きていた名残に触れた気がした。

山頂にある城跡の説明を読み、周囲を眺める。アルプスの白い峰につい気を奪われてしまうが、目の前には隣の旭山、そして富士ノ塔山と、大きく里山がそびえている。北に目を転じれば、飯縄山も近い。もちろんすぐ隣の大峰山も届きそうなところにある。


写真・山頂直下のロープ
山頂直下

あまりに簡単に頂上に着いてしまったので、頼朝山まで往復してみることにした。高い崖の上の城跡らしく、下りは太い綱に伝って、木の根の間に足を置きながら滑るように下りる。肩につくと、そのあとは緩やかな下りになる。落ち葉が厚く積もっている道をどんどん下ってゆく。どこまでもただただ下りが続く。「これじゃ、帰るみたいだね」「一回下に降りて、タクシーで車まで戻った方がいいかも知れないよ」などと話しながら歩く。

写真・落ち葉の道をひたすら下る
落ち葉の道をひたすら下る

森は静かだ、人っ子一人いない。南側斜面は広葉樹が多く、葉を落とした今は明るい。ホウノキの大きな葉も白く積もっている。沢山の人が歩いたとみられる山道は深く削れている。カラマツも増えてきた。落ち葉が積もっているところは豪華な絨毯がしいてあるようにふかふかして気持ちがよい。

ひたすら下って、ようやく道標らしきものに出会った。右に下ると静松寺という。ここは静松寺の墓地から来る上の道だろう。さらにしばらく下ると、林道のような幅のある道に着いた。右に静松寺、左に往生寺との道標がある。静松寺の方に数メートル行くと、ようやく頼朝山の登山口。

長い下り道の間、前方に山らしき姿が見えなかったので、「本当にあるのかな」などと疑いながら歩いてきた。標高差から考えれば、山というより稜線の出っ張りくらいなのかも知れないと思ってはいた。


写真・裾花川
裾花川

登りというほどの距離も無く、頼朝山の山頂に着いた。八幡宮があったというだけに広さがある(頼朝山は別名八幡山)。南に展望が開けて、長野の市街地の向こうに松代の尼厳山や奇妙山が見えている。足元には裾花川が青く光って蛇行しているのが見える。アルプスはくっきり見えていたのに、長野市街はうっすらと靄が覆っている。今、眼下に見えている裾花川は長野市の西を流れている。その岸を散策したことがあるが、波が立ってなかなか迫力がある。対岸は真っ白い崖が屹立している。私たちは見つけられなかったが、その崖には鷹も住んでいるという。


写真・頼朝山山頂
頼朝山

山の頂から展望を楽しんでいると時間を忘れる。

ここ頼朝山は、名前の示すように源頼朝にゆかりのある山だそうだ。山頂にあった八幡宮(昭和13年焼失)は静松寺の鎮守社だそうだが、この山そのものが頼朝の寄進したものだという。

頼朝は天正15年(1198年)に善光寺へ参拝したそうで、善光寺にも頼朝ゆかりの話がいくつか残っている。その時、家臣の菩提を弔うために静松寺に土地や山を寄進して『頼朝山法性浄院静松寺』と名づけた。源氏再興のために諸国を旅していた時にこの寺で没した家臣がいたらしい。

すぐ近くにある史跡としては川中島の合戦(※)跡があまりにも有名だが、大きな戦いの前後にはいつも気を抜けない小さな戦いが続いていたことを感じる。長野市周辺の里山に限っても城跡がたくさんある。小高いところに前線基地を張り出して、お互いに気を張って睨み合っていたのかなぁ。
※天文22年(1553年)〜永禄7年(1564年)に渡り5回の激戦


自慢じゃないけれど、歴史の授業は嫌いだった。全教科の中で一番苦手だったかも知れない。沢山の人々が生きてきた巨大なうねりを夢想するのは大好きだったし、考古学の本を読むのも好きだった。けれど、歴史上の有名な人物の名前、活躍した年代、出来事の起こった年、等々丸暗記するのが苦手だった。歴史の教科書はとても分厚く、どこをとっても丸暗記することばかり。ウ〜ン、嫌いだったなぁ。

写真・葛山城跡
葛山城跡

でも今、ここに生きていた人たちの存在を強く感じるのはなぜだろうか。私や夫は庶民として歴史に残ってはいかない生き方をしている。けれど、確かに毎日色々なことを考え、悩み、楽しみ、息をして今を生きている。過去の無数のそういう人たちがいたことを実感できるのだろうか。


我が家のすぐ近くに、こんなにも歴史の息吹を感じさせられるところがあったことにびっくりして、また来てみようと言いながら、再び葛山を目指して長い落ち葉の道を登り返した。

葛山から車に戻るとちょうど昼食時。お腹がすいたからおいしいおそばを食べて帰ろうと、ここはすぐ意見が一致。戸隠まで足を伸ばして、おいしいおそばを食べて帰路についた。

写真・大久保西の茶屋のそば
おいしい戸隠の蕎麦



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